「神の瞳」解説&あとがき

神の瞳を読んでくださってありがとうございます!

まだ読んでいない方はこちらからどうぞ・・・!

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こんにちは、なずなです!

この台本は一度上げたものの、時間も長く、内容も分かりにくかったため、下げてしまった台本です。直そうと思っていたのですが存在を忘れていました。

夕隠れの神様も上げたし、ちゃんと神様が出てくる台本を・・・あっ!そういやそんなのあったな・・・!ってなって、修正したり、登場人物の性別(香月と嗣永)を変更したり遊びながら書き直しました。


なんて、あとがきを書いていたのですが、ずっとずっとどういうことだったのか?九条は何なのか?ということを書こうと思っていたのに、もう1年以上たっていて驚き…。

やってくださったものを聴くと、上演後の感想などで、どういうことなのか…?ってなっている方も多くいらっしゃったので、今更ですが、書いていこうと思います。


最初に言うと、九条は神様です。「神の瞳を喰らった最初の人間なのでは?」という考察をされる方も多くいらっしゃるのですが、そうではなく瞳を食べられた神本体になります。


神の瞳を喰らった最初の人間は、環が言う通り初代嗣永家当主です。

以下が本編の環のセリフです。


・・・昔、この地には金色の美しい瞳をもった神がいたそうだ。

その瞳に魅入られ、神の力を得るために喰らった人間がいた。

その者は神の怒りにより燃えつくされたこの地に村を築き、神から得た瞳を持って、神としてこの地に在ろうとした。

・・・ああ。初代の嗣永家当主は瞳が金色だったらしい。そんなものを見れば誰もが信じるだろう。

事実、嗣永は神として崇められ、神の血を欲して、嗣永の血縁者と婚姻する家が多かった。



これは真実そのままです。

そして、千賀家も環の言う通り、嗣永に都合よく扱われた一族になります。


千賀:「じゃあ、なんで千賀家が・・・?」

嗣永:「幾年か過ぎ、嗣永の金色の瞳の色も薄れ始めた頃になって、原因不明の眼痛に襲われるようになった。

やがて嗣永家の者だけではなく、他の家の者も苦しむようになった。

それで嗣永は勘づいたんだ。

・・・ああ、これは神の祟りなのだと。」

九条:「嗣永家の血が流れていますからね。村人のほとんどに。」

嗣永:「その時に九条が村を訪れたんだ。神道に精通しているというその言葉を信じて、当時の村長は藁にも縋る思いで相談したんだろう。

九条は神に瞳を返せばいいと言ってきたが、嗣永はそれを良しとしなかった。

そして、考えついたのだ。嗣永の血が流れている者全員が祟られるのであれば、返す者もまた嗣永の血が少しでも入っていればいいのでは、と。」


九条は最初にも言った通り、神本体です。なので、ただただ暇つぶしの様な感じで遊びに来た感覚に近いです。神の瞳を食べただけで神になれたと思っている馬鹿な人間たちがどのような末路を辿るのかを見に来ただけの神様です。


「人は愚かだ。喰ったものをどうやって返すというのです?」


どうすることもできないことを知っていて、神に瞳を返せばいいだなんていう言葉を言って、無駄に足掻いている滑稽な人間の姿をあざ笑って見ていただけです。

瞳を返すということを、嗣永家の血が入っている生贄と勝手に解釈して行われてきた瞳返しですが本来は意味のないことです。返せないんだから。

それでも、良くなったような気がしたのは、神様の気まぐれでしかありません。面白かったからそうしたってだけです。


「最後に教えてあげましょう。愚かな人の子に。

瞳返しをしようと、贄をどうしようと、こうなることは決まっていたのです。

神の瞳を喰らった者は誰なのか。

その答えが分かったところでそれは・・・。

神ではなく、神の瞳を喰らった者でしかないのだから。」


この話はまとめてしまうと、神の瞳を喰らっただけで神になったと思いあがった愚かな人の子とその村の行く先を見たい、そしてより面白くなってほしいと神が仕組んだ話なんです。


九条が何なのかって言う話をしたところで、琴子と5年前の瞳返しの話に移ります。

琴子は5年前、贄になる予定でした。ですが、両親に逃がされて生き延びます。

また、5年前の瞳返しと同時に村の火事によって多くの人が亡くなりました。

ですが、最初の環と九条の会話にこんなセリフがあります。


「5年前も、離れていたおかげで燃えることもありませんでしたし・・・。まあ、同じく離れている儀式の間は燃えましたけど」


これは贄がいる座敷牢は村から離れているために燃えることはなかった

ですが、同じく村から離れている儀式の間は燃えたということです。

そして、所々で5年前の儀式は不完全だったのでは?という話もでてきます。


この答えは最後に九条が言っています。


「不思議に思いませんでしたか?

なぜ、貴女の両親が贄となった時、何の意味も為さなかったのか。

確かに本来の贄とは異なりますが。」

「貴女のご両親は贄になっていませんし、そもそも瞳返し自体行われていません。」

「火事でできなかったんですよ。最後まで。

さっき、嗣永も言っていたでしょう?

まさか、この儀式の間まで燃えるとは思っていなかった、と。

ここよりも村に近い社は燃えず、なぜここは燃えたのでしょう?

・・・貴女は5年前、どうしてここにいたのですか?」

「いいですよねえ。都合の悪いことだけ忘れることができて。

・・・琴子様ですよね? ここに火をつけたのは。」


あの日、逃がされた琴子は村も何もかも憎んで村に火をつけます。

そして、瞳返しが行われる儀式の間も燃やしました。

親がまだ生きて居るかもなど深く考えず、恨みだけで動いて燃やしてしまうのは子供らしいなと思います。

その火事により両親は亡くなりました。なので儀式自体も行われていません。

九条はこのことについて上記のように、どうして何の意味も為さなかったんでしょうね?本来の贄と異なるけどどうしてでしょうね?それはそもそも贄になってないからですよ。火事で死んだからとそんな風に言っています。最終的には、


「だから、意味なんてなかったんです。嗣永様の言う通り、貴女の両親の死に意味なんて何にも。」

    

なんて言っていました。そもそも贄も何もかも意味がなくて、最初からぜんぶ九条(神)が愚かな人の子の行く先を面白楽しくみるために仕組んだことなので、ものすごく白々しいですね。こわやこわや。


九条的には生まれながらにしての贄がいなくなり、そうではなかった琴子が贄となり、その親が琴子を逃がして、琴子が火をつけるという一連の流れをものすごく面白いなと思って見ていたと思います。そもそも琴子のように生まれてすぐ隔離されていない贄ではないと、真実を追い求める気も起きなかったでしょうし、知ることもできなかったでしょう。

当主としてあろうと精一杯足掻いた嗣永環、深い愛を持ち、家族とそして琴子を守ろうとした香月冬也、そして神の瞳の真実を追い求めた千賀琴子。この3人の役者が揃う日を九条はずっと待っていて、この村に似合う最期の日がが来るのを楽しみにしていたんだと思います。


すべてはこの日の為だったのかもしれませんね。

ここまでが解説です。


そういえば台本には出て来ないのですが、元々、千賀家は贄でなかったとしても、普通の家とは異なり関われる人間も少なく、窮屈な思いをしています。琴子もたくさん我慢することはあったでしょう。なので、琴子は一緒に遊んでくれた冬也をお兄ちゃんと慕っていました。

幼い琴子や琴子の両親、そして若くまだ結婚する前の環や冬也のことをサイドストーリーでいつか書きたいですね…。いつか…。


ここまで読んでくださってありがとうございました!

台本ともども感想などお待ちしております!





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