吐息を泳ぐ魚たち(1:1ver)

・利用前に注意事項の確認をよろしくお願いいたします。

 事前報告で教えてほしい内容、配信媒体などにおけるクレジット表記の決まりなどに関して書いてあります。

登場人物

・沙織(♀):31歳の女性。

・蛍(ほたる)(♂):22歳の大学生。(女性版もあります)


*後書きに人物に関しての詳細を記載しています。

『吐息を泳ぐ魚たち』(1:1ver)

作者:なずな

URL:https://nazuna-piyopiyo.amebaownd.com/pages/8628818/page_202501061327

沙織:

蛍:

本文

蛍(M):「六月の夜。

町はずれの寂れた公園で俺はただその人を見ていた。

水で満たされた空気に息苦しさを感じていたにも関わらず、それすらも忘れて。


Tシャツに短パン、ビーサンを履いて、缶チューハイを飲んでいる姿は、セーラー服を着ていた時の姿とはかけ離れている。

それでも、分かった。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。

12年前、ここで俺を救ってくれたお姉さんは帰ってきた」



=================



蛍:「あ、あの」


沙織:「……はい?」


蛍:「あの時の、お姉さん、ですよね?」


沙織:「あの時の? 私のこと知ってるの?」


蛍:「その、12年前にここでよく遊んでもらってて」


沙織:「この公園で?」


蛍:「はい。放課後、よく遊んでもらってました」


沙織:「君、いくつ?」


蛍:「え? ああ……、22です」


沙織:「私、31。ってことは、私が高校生の時、君はまだ小学生だったわけでしょ?

高校生に遊んでもらってたって……。君、友達いなかったの?」


蛍:「そ、それは……、あの時はいろいろあったから……」


沙織:「ごめんごめん。意地悪言った」


蛍:「え?」


沙織:「蛍(ほたる)くん、でしょ? ちゃんと覚えてるよ。いやあ、大きくなったねぇ。ランドセル背負ってた子がさ」


蛍:「覚えていてくれたんですか……?」


沙織:「そりゃ覚えてるよ。蛍くんこそよく覚えてたね」


蛍:「当たり前ですよ。俺にとってお姉さんは恩人だから」


沙織:「あははっ、恩人って。そんなんじゃないよ。ただ、遊んでただけじゃん」


蛍:「俺にとってはそうなんです」


沙織:「……ま、君がそう言うならいいや」


蛍:「あの……、お久しぶりです」


沙織:「ん。お久しぶり。

で、蛍くんは何してんの?」


蛍:「バイト終わりで、」


沙織:「ああ、違う違う。ごめん、私の聞き方があれだったわ。

小学生だった蛍くんはどうしてるのかなって。学生? それとも働いてるの?」


蛍:「あ、ああ……。すいません。今は大学に通ってます」


沙織:「じゃあ、今の蛍くんは何してるの?」


蛍:「バイト帰りで、ここで食おうと思って、コンビニでアイス買ってきたところです」


沙織:「なにそれ? 日課?」


蛍:「日課というか、金曜日はいつもそうしてて…」


沙織:「へぇ。でも、めんどくない? この公園、駅から離れてるし。家に帰るのに遠回りなんじゃないの?」


蛍:「そうですけど、俺、この場所好きなんで……。それに……」


沙織:「私にまた会えると思った?」


蛍:「……はい」


沙織:「あははっ、そんなに懐かれてたとは思わなかったわ」


蛍:「すいません。なんか、気持ち悪いですよね」


沙織:「いーや。別に。まあ、私もここに来たら君に会えるかなぁって思ってたわけだし、一緒だよ」


蛍:「え?」


沙織:「そろそろだと思ったんだよね」


蛍:「何がですか?」


沙織:「うーん、なんだろ。よく分かんないけど何となくそう思ったの」


蛍:「……」


沙織:「私、急にいなくなったじゃん」


蛍:「はい」


沙織:「ごめんね。何にも言わなくて。家の都合で急に引っ越すことになってさ」


蛍:「そうだったんですね」


沙織:「そ。ずっと帰ってなかったんだけど、久しぶりにね、こっちに帰ってきたんだ」


蛍:「こっちに引っ越してきたんですか?」


沙織:「ううん、母親だけこっちに住んでてさ。様子見に来たんだよね」


蛍:「俺と逆ですね」


沙織:「逆?」


蛍:「俺、あの後引っ越したんです。でも、こっちの大学に通うことにしたんで、今は一人で住んでて」


沙織:「そっか。

にしても、変わらな過ぎじゃない? この公園。いまも相変わらず幽霊公園って呼ばれてるの?」


蛍:「ああ……、俺もよく知らないんですけど、多分そうだと思います」


沙織:「まあ、そうだよねぇ」


蛍:「あの……」


沙織:「なあに?」


蛍:「名前、教えてもらってもいいですか?」


沙織:「名前? 教えてなかったっけ?」


蛍:「はい。

……さすがにこの歳でお姉さんって呼ぶのも変かなって」


沙織:「私がお姉さんじゃなくなったってこと?」


蛍:「ち、違くて。俺の歳の話です」


沙織:「ふふっ、分かってるよ。

私ね、谷口沙織って言います。谷口でも沙織でも好きなように呼んでください」


蛍:「……じゃあ、沙織さんで」


沙織:「おけー。あははっ、変なの。あの時の小学生から沙織さんって呼ばれるなんて」


蛍:「……」


沙織:「もう12年も経ったのか」


蛍:「兄が死んでからもうそんなに経ったんですね」


沙織:「……そうだね」


蛍:「兄を殺した犯人はもう出所したそうです」


沙織:「……そう」


蛍:「……俺も母もあの事件に関することは見ないようにしてて。

でも、出所したってことだけは母から聞いたんです。もう二年ぐらい前の話ですけど」


沙織:「もう大丈夫なの?」


蛍:「え?」


沙織:「ほら、新聞とかテレビの人とかに追っかけられたりしてない?」


蛍:「ああ……、さすがに今はもうないです。当時はすごかったですけど」


沙織:「未成年が未成年を殺したからね。15歳が16歳をだっけ?」


蛍:「そうです。仕事終わりだった兄を面識のない中学生が殺して……」


沙織:「……」


蛍:「あの時」


沙織:「ん?」


蛍:「あの時、兄が殺されて、いろんな人から憐れみというかなんて言うんですかね……。

兄を殺された弟に興味を持っている、みたいな……。

でも、沙織さんだけはそうじゃなくて」


沙織:「……まあ、そうかもね。よく覚えてないけど」


蛍:「一人でこの公園にいたら、沙織さんが話しかけてくれたんですよ。

小学生だった俺と遊んでくれて……。

兄のことを話しても、ただ“ そっか” って言うだけで。

……そんな沙織さんに、俺は救われたんだと思います。

ありがとうございました」


沙織:「なに改まってんの。そんなお礼を言われるようなもんじゃないよ」


蛍:「……沙織さんはいつまでこっちにいるんですか?」


沙織:「一ヶ月ぐらいかな」


蛍:「また会えますか?」


沙織:「さあ」


蛍:「……」


沙織:「ふふっ、嘘。

金曜日の夜にここに来てるんでしょ? じゃあ、また来週ここに来るよ」


蛍:「ほんとですか?」


沙織:「ほんとほんと。

それより、アイス溶けてんじゃない?」


蛍:「あ……」


沙織:「もう飲み終わったし、私は帰るよ」


蛍:「俺、送りましょうか?」


沙織:「君、家どっち方向?」


蛍:「こっちです」


沙織:「私はあっち。反対方向じゃん」


蛍:「で、でも」


沙織:「へーき。んじゃ、また来週ね」


蛍:「……はい」


(去っていく沙織)


蛍:「あ、あの……!!」


沙織:「ん?」


蛍:「本当に来週、会えますよね?」


沙織:「あははっ、疑り深いなあ。

今度は急にいなくなったりしないよ」



蛍M:「沙織さんはそう笑って帰っていった。

12年前と変わらず、沙織さんの笑顔はどこかおかしい。

でも、その歪さをどうやって表現すればいいのかも分からない。


どろりと溶けたアイスを口に運ぶ。


沙織さんとまた会えた。

俺を救ってくれたあの人とまた会えた。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。

俺はまた呼吸ができるようになった」



=================



(次の金曜日)


蛍:「沙織さん」


沙織:「あ、おつかれー」


蛍:「……」


沙織:「なあに? どうしたの?」


蛍:「あ、いや……。本当に来てくれたんだなって」


沙織:「えー、そんなに信用ない?」


蛍:「そ、そういうわけじゃないんですけど」


沙織:「別にいいよ。当たり前だと思うし。

ほら、隣座って」


蛍:「はい……」


沙織:「今日もアイス買ってきたの?」


蛍:「今日は買ってないです」


沙織:「なんで? もしかして、なんか遠慮させちゃった?」


蛍:「違います。俺がただ急いでただけで」


沙織:「ふふっ、ちゃんと来るまで待ってたのに。ごめんね、私だけ飲んでて」


蛍:「ああ、いえ。全然気にしないでください」


沙織:「蛍くんも22でしょ。もうお酒飲める歳なんだよね」


蛍:「そうですね」


沙織:「お酒は飲めるの?」


蛍:「飲もうと思えば……。でも、あまり好きじゃないかもしれません」


沙織:「そっかあ」


蛍:「沙織さんは好きなんですか?」


沙織:「いや、別に。そうでもないかな」


蛍:「……」


沙織:「今日もバイト終わり?」


蛍:「はい」


沙織:「なんのバイトしてんの?」


蛍:「いろいろやってるんですけど、今日は居酒屋です」


沙織:「へぇ。大変そう」


蛍:「もう慣れました」


沙織:「慣れたって言っても、大変なもんは大変じゃん」


蛍:「まあ……、多少は。これから院試もあるので」


沙織:「院試? 蛍くん、大学院に行くの?」


蛍:「はい。一応、そのつもりです」


沙織:「そっか……。いいね」


蛍:「……」


沙織:「やっぱ大変じゃん。すごいね、バイトもして、勉強もしてって」


蛍:「生活費ぐらいは自分で何とかしたいんで」


沙織:「えらいね」


蛍:「まあ……、うちはお金に余裕があるわけじゃないですし、それにもう母に甘えて生きていくのも嫌だったから」


沙織:「学費はどうしてんの?」


蛍:「奨学金を借りてます。あと、母が学費として貯めてくれたお金があります。

あ、でも、あまり使いたくないので、できる限り自分で何とかしてます」


沙織:「へえ。蛍くんもだけど、お母さんもすごいね」


蛍:「俺もそう思います。

ずっと一人で俺たちを育ててくれて……。

兄があんなことになっても、それでも俺の前じゃ泣いたりしなかったし」


沙織:「良いお母さんなんだね。

……ねえ、お兄ちゃんはどんな人だったの?」


蛍:「兄ですか?」


沙織:「うん。

ああ、答えたくなかったら大丈夫なんだけど」


蛍:「……兄はよく笑う、明るい人でした」


沙織:「そうなんだ」


蛍:「俺より8歳上だったんですけど、忙しかった母に代わって面倒を見てくれて」


沙織:「うん」


蛍:「俺の名前、兄が決めたんです」


沙織:「蛍って?」


蛍:「はい。俺がまだ生まれる前に、母と兄で蛍を見に行って、その時からずっと、弟の名前は蛍だって言い続けたみたいで」


沙織:「それで、蛍くんになったんだ」


蛍:「……中学卒業して、兄はすぐコンビニで働き始めました。母は進学してほしかったみたいなんですけど、兄がどうしても嫌だって。

本当に嫌だったのか、それとも家のためにって無理をしていたのかは分かりません。

学校に行きたくないのかって聞いたこともあったけど、勉強したくないだけだって笑いながら返すだけだったから。

そういえば、馬鹿な俺の分まで、お前は勉強しろよとも言ってました。

……本当は大学に行くのも迷ったんですけど、母に背中を押されたのと、兄の言葉を思い出して、それで進学したんです」


沙織:「じゃあ、蛍くんはお兄ちゃんの言う通り、ちゃんと勉強してるんだ」


蛍:「特別、頭が良い訳ではないんですけど」


沙織:「勉強は好き?」


蛍:「まあ……、そうですね。嫌いじゃないです」


沙織:「私はね、だいっきらいだったよ」


蛍:「そうなんですか?」


沙織:「意外?」


蛍:「昔、宿題で分からならないところがあったとき、沙織さんが教えてくれたことがあったんですよ。覚えてますか?」


沙織:「あー、あったかも」


蛍:「それが分かりやすかったから、勉強が得意なんだって思ってました」


沙織:「……うち、厳しくてさ。特に父親が」


蛍:「……」


沙織:「もう幼稚園の時からずっと勉強させられて、少しでも成績下がったらものすごい怒られるの。

小学校から高校まで私立だったけど大変だった。

……私はそこそこ勉強できたんだけど、弟はあんまり勉強が得意じゃなくてね」


蛍:「弟がいるんですか?」


沙織:「うん」


蛍:「はじめて聞きました」


沙織:「二つ下のね弟がいたんだ。もう死んじゃってるけど」


蛍:「……すいません」


沙織:「謝んないでよ」


蛍:「……」


沙織:「両親もさ、ずっと前に離婚しててね。父親に関しては、もう生きてるかも分かんない」


蛍:「……」


沙織:「あははっ、そんな顔しないでよ。父親がいなくなった後、すぐに高校も辞めてやったし、弟も中卒で、もう死んじゃったしね。

ははっ、ほんとざまあって感じ。大金かけて、自分のプライドを守るために育てた子供たちがこんなことになってるなんて」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「勉強できなかった私の分も、蛍くんは勉強してね」


蛍:「……」


沙織:「なーんてね。蛍くんのお兄ちゃんの言葉借りちゃった。

……蛍くんはさ、愛されて育ったんだね」


蛍:「え?」


沙織:「……」


蛍:「沙織さん?」


沙織:「ううん。なんでもないよ。

ごめんね、嫌な話しちゃった」


蛍:「い、いえ、ぜんぜん」


沙織:「なんか余計、じめじめしてきた気がする。

なんか面白い話ない?」


蛍:「面白い話ですか?」


沙織:「うん」


蛍:「……あ、そういえば」


(カバンを漁って何かを探す蛍)


沙織:「なに? なんか持ってきたの?」


蛍:「……あ、あった。これ、覚えてますか?」


沙織:「これって……」


蛍:「沙織さんがくれたゲーム機です」


沙織:「ああ……」


蛍:「俺、これ貰った時、すごい嬉しくて。

俺の家、貧乏でゲーム機とか買えなかったから。

兄が友達から借りたのを一緒にやったことがあって、それがすごい楽しくて、欲しくて仕方がなかったんです」


沙織:「……」


蛍:「これ、このゲーム覚えてますか?」


沙織:「……うん」


蛍:「これ、沙織さんめっちゃ強くて。変わりばんこにやってタイム競いましたよね。

俺、なかなか勝てなくてすごい悔しかったんですよ」


沙織:「……ふふっ」


蛍:「沙織さん?」


沙織:「ね、それよく見せて」


蛍:「どうぞ」


沙織:「あははっ、ぼろぼろじゃん」


蛍:「ずっと遊んでたから」


沙織:「これまだ使えるの?」


蛍:「いや、壊れててもう電源付かないんです」


沙織:「修理とかは?」


蛍:「なんか修理に出したら、違うものになりそうで嫌で……」


沙織:「そっか。

これね、弟のだったんだ」


蛍:「え?」


沙織:「もういらないって言ってたから、蛍くんにあげたの」


蛍:「そうだったんですね」


沙織:「うん。

……懐かしいな」



蛍M:「沙織さんはそう呟いた。

古いゲーム機を撫でながら笑う沙織さんに、俺は焦燥感を覚えた。


俺はこの人のことをなにも知らない。

俺が知らない傷がこの人にはたくさんあるのかもしれない。

俺を救ってくれたこの人を、救ってくれた人はいたのだろうか。

でも、心地よくも思ってしまったのだ。

この人が、自分と同じ、家族を喪ったことによる傷を抱えていることに。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。

俺は息苦しさを誤魔化した」



=================

  


(次の金曜日)

 

沙織:「あ、蛍くん。おつかれさま」


蛍:「おつかれさまです」


沙織:「今日、暑くない?」


蛍:「昼に雨降ってたせいで、いつもより蒸してますしね」


沙織:「ね。そんでね、じゃじゃーん、見て。アイスね、二個買ってきたんだ」


蛍:「え?」


沙織:「バニラとチョコ、どっちがいい?」


蛍:「あの、俺も……」


(袋を前に出す蛍)


沙織:「え?」


蛍:「暑かったから、沙織さんも食うかなって……」


沙織:「ふふっ、あははははっ。じゃあ、ラッキーだ。アイス二個食べられるんだもん」


蛍:「あははっ、そうですね」


沙織:「……」


蛍:「……沙織さん?」


沙織:「んーん、なんでもない。そっちのアイスは何があるの?」


蛍:「かき氷のやつで、いちごと抹茶のです」


沙織:「私、抹茶のがいいな」


蛍:「分かりました」


沙織:「ありがと。じゃあ、こっちのは蛍くんが選んで」


蛍:「あ、いや、俺はどっちでも」


沙織:「いいから」


蛍:「じゃあ、バニラで」


沙織:「ん、どうぞ」


蛍:「ありがとうございます」


(かき氷を口に運ぶ沙織)


沙織:「……あー、なんか久しぶりに食べたかも。抹茶のかき氷」


蛍:「抹茶、好きなんですか?」


沙織:「うん」


蛍:「それなら、よかったです」


沙織:「ふふっ、蛍くんは優しいねぇ」


蛍:「え?」


沙織:「こうやってアイス買ってきてくれるし。ふふっ、モテるんじゃない?」


蛍:「え、あ、いや別に」


沙織:「彼女とかいるの?」


蛍:「い、いえ……」


沙織:「そっか」


蛍:「……」


沙織:「……友達はいるの?」


蛍:「え?」


沙織:「あ、ごめんね。なんか今の失礼だったかも。

ほら、私は昔の蛍くんしか知らないからさ。

あの時の蛍くんはいっつも一人でこの公園にいたでしょ? だから、聞きたくなっただけ」


蛍:「……分かりません」


沙織:「分からない?」


蛍:「大学でも、バイトでも会えば話す人はいるし、遊びに行くことだってあります。

でも、それを友達と言っていいのどうか分かりません……」


沙織:「なんで?」


蛍:「……12年前からずっと、俺は変わってないんです」


沙織:「……」


蛍:「兄が死んで色んな人から、辛いねだとか、何かあったら力になるからねとか、たくさん言葉を貰いました。

言葉だけじゃなくて、周りはずっと気を遣ってくれていたんだと思います。

それが嫌だったんです、ずっと」


沙織:「そう」


蛍:「俺はただ大丈夫ですって言い続けていました。

周りに心配をかけるのが嫌だったから。

それに……、人を怖いって感じる時もあって。

優しさで俺を支えようとしてくれた人がいるのも分かっています。

でも、そうじゃなくて……、兄を殺された俺に興味を持って近づいてくる人もいたし、そんな俺に優しくすることで、何かに満足しているように見える人もいました」


沙織:「……」


蛍:「もう12年前の事件で、俺もこの町から離れてましたし、そんな風に言われることはほぼ無くなったんですけどね。

それでも、考えてしまうんです。

この人は兄が殺されたことを知っているのか。

この人は兄を殺された俺を憐れんでいるのか、それとも興味を持って近づいてきたのかって。

だから、友人かどうかもう分からなくて。

12年前と同じです。

ここで沙織さんに声をかけられた時と、そう変わってないんです。

ずっと息苦しいんです」


沙織:「……」


蛍:「……」


沙織:「……生意気」


蛍:「え?」


沙織:「気にかけられないよりいいじゃん」


蛍:「……」


沙織:「まあ……、方向性は違うかもしれないけど、気持ちは分かるよ。

人と話すだけじゃなくて、誰かの傍にいるだけでも苦しかったり、怖いのも、何となくだけど。

でも、良いんじゃない。

そう思うのはおかしくないよ」


蛍:「おかしくないですか?」


沙織:「だって、仕方ないじゃん。

魚と一緒だよ」


蛍:「魚?」


沙織:「魚は陸にいたら息できないでしょ。

でも、水の中だったら苦しくないじゃん」


蛍:「……」


沙織:「ふふっ、別に魚で例えなくても良かったかも。

人間も陸なら苦しくないけど、水の中じゃ息できなくて苦しいもんね」


蛍:「……」


沙織:「だから、苦しくないところを探して、生きたら良いんだよ。

落ち着く場所を、呼吸できる場所を探せばいい」


蛍:「……そんな場所、あるんですかね」


沙織:「ね、私が良いよって言うまで、何も話さないで」


蛍:「え?」


沙織:「いいから、ほら静かにして」


蛍:「……」



(しばらく黙る二人)



沙織:「……どう? 苦し?」


蛍:「……苦しくないです。沙織さんの傍は苦しくないんです」


沙織:「そっか」


蛍:「……」


沙織:「あははっ、見て。アイス、溶けてきちゃった」


蛍:「あ、俺のも……」


沙織:「もう一個のもはやく食べなくちゃ」


蛍:「そうですね」


沙織:「まあ、これはこれでいっか」


蛍:「……」


沙織:「ね、蛍くん」


蛍:「なんですか?」


沙織:「私みたいのでも苦しくないんだから、他にもたくさんあるよ。

蛍くんがちゃんと息できる場所」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「それに、さっきだってちゃんと笑えてたし。

あんな風に楽しそうに笑えるなら、大丈夫だよ。

ふふっ、12年前もそうだったけど、蛍くんは笑うと可愛いね」



蛍M:「沙織さんはそう言って、けらけらと笑った。

まるで、はやくここから離れてほしいとでも言われているようで、俺は何も返せなかった。


この人が呼吸をしている場所が、俺にとっても呼吸のできる場所だ。

他にそんな場所があったとしても、俺はこの人の傍にいたい。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。

俺は上手く動かない鰭(ひれ)を動かそうとした」



=================



(次の金曜日)


沙織:「……」


蛍:「お疲れ様です」


沙織:「あ……、蛍くん。お疲れさま」


蛍:「今日は飲んでないんですね」


沙織:「まあね」


蛍:「……」


沙織:「今日はバイトどうだった? 今日も居酒屋だったの?

ってか、金曜日って大変じゃない? 忙しいだろうし、疲れてたらはやく寝なね。ほら、風邪もひきやすいし。

若いけど気をつけないと」


蛍:「沙織さん」


沙織:「なあに?」


蛍:「どうしたんですか?」


沙織:「別にどうもしないよ」


蛍:「具合、悪かったりしませんか?」


沙織:「ううん、全然」


蛍:「……」


沙織:「あははっ、本当だって。元気だよ」


蛍:「沙織さん、嘘吐いてませんか?」


沙織:「嘘を吐いていたとしても、蛍くんには関係ないでしょ?」


蛍:「……」


沙織:「……ごめんね。なんか今日はだめみたい。もう帰るね」


蛍:「待ってください」


沙織:「なに?」


蛍:「関係なかったとしても俺は知りたいんです。沙織さんのこと。

もしかしたら、なにか力になれることがあるかもしれないから」


沙織:「……知りたいの?」


蛍:「はい」


沙織:「そっか……。知りたいんだ。じゃあ、いいよ。教えてあげる」


蛍:「……」


沙織:「私の弟はね、電車に轢かれて死んだんだ」


蛍:「え?」


沙織:「二年前ね、あっちにある線路で電車に轢かれて死んだの。自分から線路に入って、勝手に死んだんだよ」


蛍:「……」


沙織:「弟はね、大人しくて、弱くて、勉強が苦手でいつも父親に怒られてばかりで、本当に可哀そうな子だった。

……父親は、本当にクソ野郎だったんだよ。

少しでも成績が下がれば、すぐに怒鳴って、殴って、閉じ込めたり、ご飯抜いたりしてきて。

私物も全部管理されて、自由なんてなかった。父親のためだけに生かされているだけ。

母親だって、父親の言うことを聞くばかりで助けてくれなかった」


蛍:「……」


沙織:「結局、いろいろあって弟は死んじゃった。

……まだ27歳だったのにね。

弟が死んで、母親はおかしくなっちゃったんだ。

本当は支えなくちゃいけないんだろうけど、私は逃げちゃった。

碌に話もできないんだもん。

私が話しかけても顔も見てくれないし……。

そもそも謎じゃんね、そんなに弟が大切だったなら守ってあげたら良かったのにさ。

あの人、何にもしてくれなかったんだよ。

……だから、弟はあんなことをしたのかもしれないのに」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「そんでね、ふふっ、すっごく面白いんだけどね、母親がね、今日になって私に話しかけてきたの。

それも、私のことを弟だと思い込んでてさ。

私、気になってね、弟のフリして自分のことを聞いてみようと思ったの。

私が会いにきたり、話しかけたりしてるの分かっているのかなって気になっちゃってさ。

”姉ちゃんはどうしてるの?”って聞いてみたんだ。

そしたら、なんて言ったと思う?

”お姉ちゃん? あの子は知らない。どっかにいるんじゃない”ってすごい素っ気なく言われたの!

あははっ、すごくない?

私さ、全く気にかけられてなかったんだよ。

もうこんなんばっか!!

父親もそう、周りもそう。

ずっと、誰も……。

……誰も、私のことなんて見てくれない」


蛍:「……俺は見てますよ」


沙織:「……」


蛍:「俺は、沙織さんのことをずっと見てますよ」


沙織:「……ふふっ」


蛍:「……」


沙織:「何言ってんの、ばーか」


蛍:「沙織さん……?」


沙織:「ねえ、蛍くん」


蛍:「……なんですか?」


沙織:「12年前、君とここで遊んでいる時の私はね、まだ、"山崎沙織"だったんだよ」



蛍M:「沙織さんはそう言って、振り向くことなく帰っていった。

残された俺は動けず、ただはくはくと浅い呼吸を繰り返す。


山崎は珍しい名字じゃない。

ただの偶然だ。

偶然、兄を殺した犯人と同じ名字ってだけで。

そんなはずはない。

それならどうして、あの人は俺に近づいたんだ。

どうしてあの人は俺を救ったんだ。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。

俺は泳ぎ方を忘れた」



=================



(次の金曜日)


沙織:「……あ、蛍くん。おつかれー」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「雨、すごくない? こんなに降るとは思わなかったや」


蛍:「……」


沙織:「もう来ないかと思ってた。

ねえ、どうして来たの?」


蛍:「どうしてって……」


沙織:「あははっ、変な顔」


蛍:「……」


沙織:「……どう思った? 私が君の兄を殺した犯人の姉だって知って」


蛍:「……」


沙織:「答えてよ」


蛍:「……全部、知ってて声をかけたんですか?」


沙織:「うん」


蛍:「どうして?」


沙織:「私を助けたかったから」


蛍:「え?」


沙織:「蛍くん、言ってたじゃん。ずっと息苦しいって。私も同じ。私もずっと苦しいんだよ」


蛍:「……」


沙織:「……いつバレるか分からないんだもん。

おばあちゃん家に住んでもすぐバレて、転校先の高校もバレて、辞めることになって。

勉強好きだったんだけどね。どうしようもなくてさ。

……どこに逃げたって、バレる時はバレるから。

人殺しの家族だって」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「蛍くんのお兄ちゃんを殺した犯人のことをどう思う? 私の弟のことをどう思う?」


蛍:「……」


沙織:「許せない? ずっと恨んでる?」


蛍:「……」


沙織:「大丈夫だよ。何言われても驚かないし、怒らないから」


蛍:「……許せません」


沙織:「そうだよね。当たり前だよ。私だってそう思ってるもん。

じゃあ、私のことは?」


蛍:「……」


沙織:「答えられないよね。蛍くん、優しいもんね。

……恨んでるでしょ? 蛍くんのお兄ちゃんを殺した人の家族だから。

でも、当たり前だよ。関係ない人たちだって事件のことを知ったらそう思うもん」


蛍:「それは……」


沙織:「私と蛍くんは似てるんだよ。

蛍くんは家族を喪った。

私だってそう。

弟は逮捕されて出てきたと思ったら死んじゃうし、父親はどこかに逃げちゃうし、母親は壊れちゃった。

だけど、私は誰にも優しくされなかった。心配なんてされなかった。

蛍くんはいいよね。

皆に可哀そうだって言われて、興味本位でも優しくしてもらえて。

愛情をたくさんくれるお母さんもいてさ。

いいな、私が欲しかったものをぜんぶ持ってるんだもん。

なんで、こんな違うんだろね。

……意味わかんないじゃん。

私は何にもしてないのに、どうしてこんな目に遭ってんのか」


蛍:「……」


沙織:「すぐに分かったんだ。誰も私のことは助けてくれないって。

だから、私は私を助けたかったの。

……あんたの苦しむ顔を見れたら、救われると思ったんだ」


蛍:「……っ」


沙織:「蛍くんが一人でこの公園にいてくれて良かったよ。

もしも、誰かと一緒なら何してたか分からないもん。

それなのに、蛍くんは何にも知らずに私に懐いてさ。

ふふっ、本当に面白かったよ。

自分の兄を殺したやつのものを嬉しそうに貰ってて、馬鹿なやつだなって思ってた」


蛍:「沙織さんはずっと俺のことを恨んでいたんですか?」


沙織:「うん」


蛍:「……」


沙織:「どう? 悲しい? 苦しい?

私と同じで何にも信じられなくなった? どうしていいか分からなくなった?」


蛍:「……苦しいです」


沙織:「……」


蛍:「でも……、それでも、俺は沙織さんのことを恨んでいません」


沙織:「は……?」


蛍:「沙織さんの弟のことを許すことはできません。だけど、沙織さんは沙織さんです。

兄を殺した犯人の姉だろうと、そんなことは関係ありません。

だから、」


沙織:「関係ないわけないじゃん!!!!」


蛍:「……っ」


沙織:「あんたのせいで苦しいんだよ!!

あんたはかわいそうって言われて、優しくされて、親から大切にされてるのに、私は何にもなくなった!!

私は全部なくなったのに!! 弟だって死んだ!! お母さんもお父さんもみんな私のことなんて見てくれない!!!!

どこに行っても、いつもびくびくして生きて……!!

私だって、幸せになりたかった……!!

好きで人殺しの家族になったんじゃないのに!!

私だって、私だって……っ!!」


蛍:「沙織さん……っ」


(沙織を抱きしめる蛍)


沙織:「離して……!!」


蛍:「嫌です。離しません」


沙織:「あんたの兄が死んだから……! あんたの兄が死ななければ良かったんだ!!あいつが人なんか殺さなければ!!

お母さんが私たちを守ってくれたら!! お父さんがあんなんじゃなければ!! 誰かが救ってくれてたら……っ!」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「誰か助けてよ……っ!! 私を助けてよ!!」 


蛍:「俺が沙織さんを救います」


沙織:「……っ」


蛍:「……沙織さんが俺を傷つけるためにやっていたことだったとしても、俺はそれに救われたんです。

だから、今度は俺が沙織さんを助けます」


沙織:「……」


蛍:「大丈夫ですよ。俺、頼りないかもしれないけど頑張りますから。

そうだ。やっぱり大学院に行くのやめて、働きますよ。

心配しないでください。何とかしますから。

俺が沙織さんを守ります。

……俺は沙織さんの傍でしか、呼吸できないんですから」



蛍M:「沙織さんはその言葉に何も返さなかった。

雨の中、小さなその人を抱きしめる。

恨みや苦しみや悲しみはあるけれど、この人だってきっとそうなのだ。

同じ傷を抱えるこの人を、子供みたいに泣いているこの人を俺は救いたい。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。

俺は必死に水を掻いて前へ進もうとした」



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(次の金曜日)


沙織:「……あ、蛍くんだ」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「あははっ、驚いた? もう来ないと思った?」


蛍:「……少し、そう思っていました」


沙織:「この前はごめんね。もう大丈夫だよ」


蛍:「ほんとですか?」


沙織:「うん。ほんと」


蛍:「……」


沙織:「その顔は信じてないな」


蛍:「すいません……」


沙織:「ふふっ。まあ、でもそれもそうだよね。いい歳した人間があんな泣いてたら、心配通り越して怖いよね」


蛍:「そんなことないです。だた心配してるだけで」


沙織:「そっか。ありがとね。

それでね、蛍くんに伝えなくちゃいけないことがあってさ」


蛍:「なんですか?」


沙織:「実はね、もうこの町から離れることにしたんだ」


蛍:「え?」


沙織:「元々、一ヶ月って言ってたしね。

……今日ね、弟の命日なんだ」


蛍:「そうだったんですね」


沙織:「うん。だから、今日まではいようと思ってて」


蛍:「……」


沙織:「弟がやったことは良くないことだってちゃんと思ってる。

でも、どうしてもさ、弟のことも可哀そうだって思っちゃうんだ。

誰かが、父親と母親から助けてくれたなら、あんなことは起こさなかったんじゃないかって。

でも……、私も何もできなかった」


蛍:「沙織さん……」


沙織:「きっと、私があの子のことを助けられなかったから、そうやって思っちゃうのかな。

今までは両親のせいにしてたんだけど、やっと分かった気がする。

蛍くんのおかげだよ」


蛍:「俺の?」


沙織:「うん。

蛍くんは良い子だからさ。ムカつくほどに良い子過ぎるからさ、だから自分のことをちゃんと見るしかなくなっちゃって」


蛍:「俺はべつにそんなんじゃ」


沙織:「ふふっ、そんなんだよ。

ありがとね、やっと踏ん切りがついた気がする」


蛍:「……」


沙織:「前はじゃあねって言えなかったからさ、今回は言わないとって思って。

そうじゃないと蛍くん、ずっとこの公園に来そうだもん」


蛍:「行きますよ。だって、俺は」


沙織:「私、もう蛍くんに会えないよ」


蛍:「……っ」


沙織:「あははっ、そんな悲しそうな顔しないでよ」


蛍:「……俺は、傍にいちゃいけないんですか?」


沙織:「……」


蛍:「俺は沙織さんを救いたいんです。

それに……、俺にとって呼吸ができるのは沙織さんの傍だけなんですから」


沙織:「……ね、私が良いよって言うまで静かにして」


蛍:「……」



(しばらく黙る二人)



沙織:「どう? 苦しい?」


蛍:「苦しくありません」


沙織:「私はね、死ぬほど苦しい」


蛍:「……っ」


沙織:「まあ、もうどこに行っても苦しいんだろうけど」


蛍:「……」


沙織:「蛍くんは大丈夫だよ。いつか見つかるから。

だから、お兄ちゃんの分まで生きなよ」



蛍M:「沙織さんはそう言って笑った。

はじめてちゃんと笑ってくれたような気がする。


この人がこれ以上傷つきませんようにと願いながらも、この人が抱える俺と同じ傷だけは消えなければいいと思った。

その傷を抱えながら、必死に呼吸ができる場所を探して、泳ぎまわって、いつか俺のところに戻ってきてくれたらいいのに。

浅い呼吸を繰り返しながら、酷い願い事を呟きながら、あの人の小さな背中を見送った。


その日の真夜中。

公園の近くの線路で、電車に轢かれて一匹の魚が死んだ。


蒸し暑い夜に。

溺れそうな夜に。


傷だらけの鰭で泳いでいた魚は溺れたのだ」


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