君、陽だまり、遠い夢
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事前報告で教えてほしい内容、配信媒体などにおけるクレジット表記の決まりなどに関して書いてあります。
注意事項
題名からも分かるかと思うのですが、こちらの台本は過去作「君、朝顔、夏の夢」とちょっとした繋がりがあります。
しかし、作中では全く関係なく、繋がりがありませんので、知らなくても問題はありません。
どんな繋がりがあるか気になる方がいらっしゃいましたら、あとがきをお読みください。
登場人物
・奈津美(♀):17歳の少女
・七海(♀):17歳の少女。
『君、陽だまり、遠い夢』
作者:なずな
URL:https://nazuna-piyopiyo.amebaownd.com/pages/9293455/page_202510071854
奈津美:
七海:
本文
奈津美M:紙飛行機を飛ばした。
わたしの夢を乗せた小さな紙飛行機。
夏よりも少し高くて、澄んでいる空を、
夏よりもひんやりとしていて、何だか胸がきゅってなる匂いのする風にのって、
どこまでも飛んで行きますようにって願いながら。
でも、紙飛行機はゆるやかに落ちていった。
落ちた先には、綺麗な女の子が立っていて、その子は紙飛行機を拾って、そこに書かれた文字を見つめていた。
何も言えずにその様子を見ていた私に、女の子はこう言った。
七海:「どこに行きたいの?」
奈津美M:どこか遠くに行きたい。
わたしの大きな大きな夢を、その子は笑うことも呆れることもなく、ただそう聞いてきた。
秋よりも眩しい陽光の中。
わたしはこの子に、内緒話をしたくなった」
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七海:「ねえ」
奈津美:「あ、は、はい……っ」
七海:「遠くに行きたいって書いてあるけど」
奈津美:「それはわたしの夢で、その……」
七海:「……」
奈津美:「……都会、とか」
七海:「都会?」
奈津美:「東京とか、その大きな街とか……、です」
七海:「……なんで?」
奈津美:「え、なんで?」
七海:「ここじゃだめなの? 田舎だから?」
奈津美:「駄目ってわけじゃないけど、でも、わたしずっとこの町で暮らしてて……。
だから、見てみたくて」
七海:「……」
奈津美:「楽しそうだし。
きっとここにはないものもたくさんあって、それで」
七海:「ふふっ」
奈津美:「……っ」
七海:「いいね」
奈津美:「……え?」
七海:「夢、なんでしょ?」
奈津美:「は、はい」
七海:「いつか叶うと良いね」
奈津美:「あ、ありがとうございます」
七海:「これ、返すよ。じゃあね」
(紙飛行機を奈津美に渡して立ち去ろうとする七海)
奈津美:「あ、あの!!」
七海:「なに?」
奈津美:「そ、その」
七海:「……」
奈津美:「えっと……」
七海:「……」
奈津美:「ごめんなさい、あの、わたし、」
七海:「ね、隣、座ってもいい?」
奈津美:「え? は、はい。どうぞ……っ」
七海:「……」
奈津美:「……」
七海:「なんで立ってるの? 座りなよ」
奈津美:「あ、はい。失礼します……」
七海:「……」
奈津美:「……」
七海:「ここ、景色いいね」
奈津美:「は、はい。高台で」
七海:「初めて来た。こんなとこにベンチなんて置かれてたんだ」
奈津美:「向こうの山に、もっとちゃんとした展望台みたいのがあって、そっちの方が景色いいし、ここベンチが置かれてるだけだから、誰も来ないんですけどね」
七海:「そっか」
奈津美:「広い空が見えて、わたしは好きで……」
七海:「うん」
奈津美:「あ、あの、えっと……」
七海:「……どうしたの?」
奈津美:「……」
七海:「なにかあって引き留めたんでしょ?」
奈津美:「……」
七海:「その制服、高校のだよね?」
奈津美:「は、はい……!」
七海:「いま、何年?」
奈津美:「二年生、です」
七海:「今年、17?」
奈津美:「そうです」
七海:「じゃ、私と同い年じゃん」
奈津美:「え? でも、」
七海:「ああ、服の話? 私、高校通ってないんだ。別にいいでしょ、義務じゃないし」
奈津美:「違くて」
七海:「違う?」
奈津美:「なんか、その、美人さんだから」
七海:「え?」
奈津美:「あ、ごめんね……! なんか気持ち悪いよね。でも、その、あの、なんていうか、大人っぽいというか、えっと、雑誌とかでみる大学生の人みたいだったから」
七海:「ふっ、ふふっ、あはははっ」
奈津美:「……っ」
七海:「あー、おもしろ。なにそれ、同い年だよ。同い年」
奈津美:「そう、なんだ……。あ、ごめんね。なんか急にタメ口で話して」
七海:「ううん。そっちの方がいいよ」
奈津美:「そ、そっか」
七海:「久しぶりに同い年の子と話したや。
私、最近こっちに来たばっかなんだ」
奈津美:「え?」
七海:「母親が昔ここに住んでたみたいで、それで引っ越してきたの」
奈津美:「そうだったんだ」
七海:「うん。
てか、人と話したのが久しぶりかも。
なんか嬉しい」
奈津美:「じゃ、じゃあ、もっとたくさんお喋りしよう……!」
七海:「え?」
奈津美:「あ、その、嫌じゃなかったらなんだけど……」
七海:「話し相手が欲しかったから引き留めたの?」
奈津美:「あー、うーんとね……、そうかもしれない」
七海:「かもしれないって、あやふやだね」
奈津美:「た、確かに……」
七海:「じゃあ、何を話す?」
奈津美:「えっ?」
七海:「ふふっ、目、まんまる。そっちから言ってきたのに」
奈津美:「ごめんね。少しびっくりしちゃって」
七海:「それで、なにを話そっか」
奈津美:「えっとね……、あっ、名前」
七海:「私は七海」
奈津美:「わたし、奈津美」
七海:「名前、似てるね」
奈津美:「ななみとなつみ。ふふっ、ほんとだ、似てる」
七海:「ね」
奈津美:「その、七海ちゃんは……」
七海:「なに?」
奈津美:「七海ちゃんは、夢ってある……?」
七海:「なんか初対面の子と話すには大きな話だね」
奈津美:「わたしもそう思う。変なこと聞いちゃってるなって。
でも、七海ちゃんには話せるなって思って」
七海:「初めて会ったのに?」
奈津美:「ね。おかしいよね。でも、そう思うの。
七海ちゃん、これ見て叶ったらいいねって言ってくれたから」
七海:「ああ、さっきの紙飛行機?」
奈津美:「うん。
紙飛行機というか、ここの文字のところ」
七海:「遠くに行きたいっていうのは奈津美ちゃんの夢なんでしょう?」
奈津美:「うん。
……でもね、そんな夢なくなったらいいのになって思ってる」
七海:「どうして?」
奈津美:「叶えられそうにないから」
七海:「……」
奈津美:「だったらそんな夢なんて持ってない方が楽だなって。悲しいもん、叶わないの。
だから、紙飛行機にして飛ばしてみたの」
七海:「なんで?」
奈津美:「遠くに飛ばしたら忘れそうだから……、かな。そんなわけないのにね、そう思えちゃって。
……どうしてなのかは自分でもよく分かんないや」
七海:「でも、飛ばすときに叶いますようにって思わなかった?」
奈津美:「……」
七海:「……」
奈津美:「思ったかも」
七海:「思ってんじゃん」
奈津美:「あ、ほんとだ。そう思ってたや。神社のお賽銭のときと一緒の感じで」
七海:「それに、私に叶ったらいいねって言われて、嬉しかったんでしょう?」
奈津美:「……嬉しかった」
七海:「じゃあ、もう無理だよ。忘れるなんて」
奈津美:「そうだね……。
きっと、あれなんだよ。あれ……、何て言ったっけ? えっと……、あっ、センチメンタル!」
七海:「センチメンタル?」
奈津美:「そうそう、おセンチ」
七海:「あんま聞かない言葉だね」
奈津美:「お母さんが前言ってたの」
七海:「へえ」
奈津美:「もうそろそろ秋でしょう? だから、少し元気なくなってこんなこと考えちゃったんだと思う」
七海:「季節って関係あるの?」
奈津美:「あるよ、たぶん」
七海:「そっか」
奈津美:「ふふっ、なんか元気出て来たかも」
七海:「何の解決にもなってないよ」
奈津美:「でも、こうやって誰かに話せただけでも嬉しいから」
七海:「なら、よかったけど……」
奈津美:「ありがとうね、七海ちゃん」
七海:「……ね、奈津美ちゃんはよくここにいるの?」
奈津美:「よくいるよ。でも、天気が悪い日はここまで来るの大変だからいないかな」
七海:「そっか」
奈津美:「また会える?」
七海:「また来るよ」
奈津美:「本当はスマホとか持ってたら良かったんだけど、わたし持ってなくて」
七海:「私も持ってないよ」
奈津美:「え? ほんと? わたし、同じクラスで持ってないの一人しかいなくて、あとみんな持ってるの」
七海:「そうなんだ」
奈津美:「スマホなくて今は調べられないけど、明日は晴れだよ」
七海:「じゃ、明日また会うかもね」
奈津美:「うん。でも、気が向いたらでいいからね」
七海:「うん」
奈津美M:こくりと頷いた七海ちゃんに、わたしは嬉しくなって小さく足をぱたぱたと動かした。
どこまでも続く空を見ながら、わたしは弾む心を両手でそっと抑え込んだ。
秋よりも眩しい陽光の中。
わたしはこの子に、秘密の宝物をみせたくなった」
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奈津美:「あ! 七海ちゃん」
七海:「やほー」
奈津美:「来てくれたんだ」
七海:「少しめんどくさかったけど、昨日の今日で来ないのはさすがにね」
奈津美:「気が向いたらでいいよって言ったのに」
七海:「ふふっ、うそ」
奈津美:「うそ?」
七海:「うん」
奈津美:「いじわるじゃん」
七海:「ごめん。でも、本当に気が向かなかったら来ないよ」
奈津美:「それでいいよ。わたしだって今日はいいかってなる時あるもん」
七海:「そうじゃなかったら、毎日ここに来てるの?」
奈津美:「毎日とは言わないけど……、でも結構来てるかも」
七海:「なんで?」
奈津美:「……お気に入りの場所だから?」
七海:「そうじゃなくて」
奈津美:「そうじゃなくて?」
七海:「何か他の理由があるんじゃないの?」
奈津美:「すごい。よく分かったね」
七海:「普通、そう思うよ」
奈津美:「……わたしね、隠し事が多いんだ」
七海:「え?」
奈津美:「ちゃんとね高校に友達はいるんだよ。わたしは帰宅部なんだけど、他の子はみんな部活に入っててね。
部活が休みの時は放課後に遊ぶときもあるんだけど……」
七海:「……だけど?」
奈津美:「何と言うか……、ぜんぶは見せられないんだ。大きな壁があるというか」
七海:「ふーん……」
奈津美:「わたしが勝手につくっちゃった壁なんだけどね。
あ、ちょっとまって」
(鞄の中を漁る奈津美)
奈津美:「……ああ、あったあった。
見て、これ」
七海:「ノート?」
奈津美:「これね、わたしの大切なものなの」
七海:「何が書いてあるの?」
奈津美:「わたしの夢」
七海:「夢?」
奈津美:「うん。いつかやってみたいこととか」
七海:「へえ」
奈津美:「誰にも見せることのない秘密のノートなの。
でもね、春ぐらいにさ、これ見られちゃって」
七海:「うん……」
奈津美:「見ないでって言ったのに見られちゃったの。そしたらあの子たち、すっごい笑ってきたんだよ。なにこれー、めっちゃ書いてある―って。
……あの時は笑って誤魔化したけど、すごい嫌だった。だから、一緒にいるのが少しだけ苦しい時があって」
七海:「……」
奈津美:「あ、でも、本当に悪い子たちじゃないの。多分、おかしいのはわたしの方なんだよね。
たったそれだけのことでって思われちゃっても仕方ないようなことだもん」
七海:「それは……」
奈津美:「ね、これ中身読んでみて」
七海:「え? でも」
奈津美:「七海ちゃんには見せてあげる。というか、見てほしいの」
七海:「……うん、わかった」
奈津美:「……」
七海:「……」
奈津美:「……どう?」
七海:「どうって言われても……。たくさん書いてあるね」
奈津美:「でしょう?」
七海:「……東京駅に行ってみたい?」
奈津美:「そう! 大きな駅なんだろうなあ」
七海:「渋谷……? 池袋に、上野……?」
奈津美:「うんうん」
七海:「このページ駅だらけなんだけど」
奈津美:「行ってみたいんだもん」
七海:「東京駅は確かにでかいけど、そんな楽しいもんかなあ……」
奈津美:「え? 七海ちゃん、東京駅行ったことあるの?」
七海:「まあ、何度か……」
奈津美:「もしかして、都会に住んでた……?」
七海:「う、うん」
奈津美:「やっぱり……!!」
七
海:「な、なに?」
奈津美:「絶対にそうだと思った! だって、すごい綺麗だもんね、七海ちゃん。
やっぱり都会の子からしたら、わたしたちってすごい芋っぽい? 子供っぽく見える? そうだよね、わー、なんか恥ずかしいや」
七海:「何も言ってないんだけど」
奈津美:「お化粧もしてるもんね!」
七海:「う、うん」
奈津美:「そもそも、目の色が綺麗だよね」
七海:「……」
奈津美:「睫毛もくるくる」
七海:「あ、あのさ」
奈津美:「髪の毛少し茶色いのは地毛?」
七海:「奈津美ちゃん」
奈津美:「なあに?」
七海:「近いんだけど」
奈津美:「あ、ごめんね……!」
七海:「いや、別に。驚いただけだから……」
奈津美:「いいなあ。ねえ、東京にはお化粧品がたっくさん売ってるところがあるんでしょう?」
七海:「東京じゃなくてもあるでしょ?」
奈津美:「でも、この辺にはないよ」
七海:「駅前のドラックストアとか」
奈津美:「そうじゃなくて、もう全部のフロアがお化粧品みたいな」
七海:「ああ……」
奈津美:「わたしね、前にちょっとだけやってみたの」
七海:「メイクを?」
奈津美:「うん。でも、ぜんぜんダメ。分かんない」
七海:「動画とか見てやってみれば?」
奈津美:「見てみたよ。でもね、わたしの家、動画みるの一日30分までって決まってるんだ」
七海:「厳しいね」
奈津美:「テレビはまだ良いんだけどね。あ、でも番組にもよるか」
七海:「へえ……」
奈津美:「そういえば、どこだっけ……。えっと、このページの……、あ、これ。このお店行ったことある?」
七海:「前を通ったことはあるけど、行ったことはないや」
奈津美:「有名なのに?」
七海:「いつでも行けるって思ってると、結局行かないんだよね」
奈津美:「ええ、勿体ない。ここのパフェが美味しいんでしょう? わたし、チョコのがいいなあ」
七海:「ああ……、私イチゴのがいいな」
奈津美:「あ! 期間限定のやつ美味しそうだったよね! チョコとイチゴの」
七海:「ね。でも、あれ結構大きいらしいよ」
奈津美:「安心して。わたし、結構胃袋大きいの」
七海:「食い意地張ってそうだもんね」
奈津美:「張ってないよ」
七海:「じゃあ……、この店は?」
奈津美:「あ、これはね、ハンバーガー屋さん!」
七海:「ハンバーガー?」
奈津美:「うん。知らない? なんかすごい色々重なってて、すごい高いんだよ。背丈も値段も」
七海:「ふふっ、なにそれ」
奈津美:「でも、おいしそうだった。チーズがとろとろしてるのがいいなあ」
七海:「これは?」
奈津美:「これはねぇ……、なんだっけ。えっとね……、スイーツだった気がするんだけど……、韓国とかの、えっと……」
七海:「また食べ物なわけね。やっぱ食い意地張ってるじゃん」
奈津美:「違うよ。他にもあるよ、ほらこれは遊園地!」
七海:「と、遊園地の中にあるレストランね」
奈津美:「そう、だけど……」
七海:「食いしん坊め」
奈津美:「失礼な」
七海:「失礼じゃないよ。褒めてるの」
奈津美:「うそだあ」
七海:「本当だよ」
奈津美:「……ふっ」
七海:「ふふふっ」
(顔を見合わせて笑う二人)
奈津美:「あーあ、よかった。七海ちゃんにこれ見せて」
七海:「え?」
奈津美:「これ書いてる時ね、楽しいんだ。色々考えて、想像の中でいろんなことしてるの。
それで、いつかほんとにできたらいいなって」
七海:「うん」
奈津美:「一人で書いてても楽しいけど、こうやって誰かと一緒に話してる方が楽しいや」
七海:「そっか」
奈津美:「うん」
奈津美M:七海ちゃんの長い睫毛が金色に光っている。
わたしは横目でそれを盗み見ながら、綺麗だなって思った。
その日から、私は七海といろんなお話をした。
相変わらず心は弾んでいて、いつもよりも景色が綺麗に見えた。
空はいつもよりも澄んで見えたし、秋になるにつれ染まっていく木々の葉も、いつもよりも色が鮮やかに見えて。
名前しか知らないあの子は、ふらっと現れてはふらっと帰ってしまう。
本当はもっといろんなことを知りたい。
どこに住んでるの?
普段はなにをしているの?
何人家族なの?
誕生日はいつ?
そんな感じで、聞きたいことがたくさんある。
でも、なぜかあの子自身のことを聞いてはいけないような気がして、何も口にしたことはなかった。
いつの間にか薫るようになった金木犀の甘い香りを吸い込みながら、何だかまるで妖精みたいだなって笑う。
でも、それでもいいの。
だって、あの子とお話しするのはとてつもなく楽しかったから。
どこまでも続く空を見ながら、わたしは弾む心を両手でそっと抑え込んだ。
夏よりも優しい陽光の中。
わたしは悩みの種をくしゃりと握った」
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七海:「ねえ」
奈津美:「……」
七海:「ねえってば」
奈津美:「……」
七海:「奈津美」
奈津美:「……っ」
七海:「あ、やっと動いた」
奈津美:「ごめんね。考えごとしてて……」
七海:「随分と深い深い考え事だね」
奈津美:「うん……、まあね」
七海:「……なに、その紙」
奈津美:「ああ、これね」
七海:「くしゃくしゃじゃん」
奈津美:「……ね」
七海:「奈津美?」
奈津美:「……進路希望調査票、明日までなんだ」
七海:「うん」
奈津美:「なんて書こうか迷っちゃって」
七海:「……うん」
奈津美:「大学とか、専門学校とか、就職とか、色々あるけど……」
七海:「奈津美はどうしたいの?」
奈津美:「……分からない」
七海:「分かんないんだ」
奈津美:「うん」
七海:「あのノートには何か書いてないの」
奈津美:「……そういうのは書いてない」
七海:「そっか。でも、都会に出たいなら、都会にある学校とかに行けばいいんじゃないの?」
奈津美:「それは……、そうなんだけど」
七海:「まあ、そもそも行ったことないんだもんね」
奈津美:「うん……」
七海:「なんか思いつかないの? やりたいこと」
奈津美:「うーん……」
七海:「これだって、夢を書く紙みたいなもんじゃん」
奈津美:「え?」
七海:「もっとちゃんとしたやつなんだろうけど」
奈津美:「そっか……、そうだね」
七海:「……夢をどうするか悩めるなんて贅沢だよ」
奈津美:「七海の夢はなあに?」
七海:「前もそれ聞いてきたね」
奈津美:「そうだっけ」
七海:「うん」
奈津美:「それで、七海の夢は?」
七海:「夢か……」
奈津美:「うん」
七海:「……ないよ」
奈津美:「ないの?」
七海:「うん。あとはもう死ぬだけ」
奈津美:「え……?」
七海:「まあ、私はそれでいいんだ。それが夢みたいなもんだからさ」
奈津美:「……そっか」
七海:「……」
奈津美:「……よしっ」
七海:「な、なに?」
奈津美:「わたし、決めた!」
七海:「は?」
奈津美:「えっとね、筆箱筆箱……、あ、これでいいや」
七海:「なに書いてるの?」
奈津美:「……よしっ。
じゃん! 七海と一緒に東京に行く!!」
七海:「え?」
奈津美:「一緒に行こうよ。わたし、七海と一緒がいい」
七海:「……」
奈津美:「違う都会でもいいんだけどね! やっぱ東京かなって。都会の学校に行きたいって書く前にまずは行ってみないとでしょ」
七海:「それはそうだけど」
奈津美:「親に都会に行ってみたいって怖くて言ったことなかったし、どうなるか分からないけど、とりあえず帰ったら話してみるよ!」
七海:「奈津美……」
奈津美:「だからさ、一緒に」
七海:「ねえ、奈津美」
奈津美:「な、なに?」
七海:「これマジックペンで書いてるじゃん」
奈津美:「そうだよ。そっちの方が濃くて、わたしの熱意が七海に伝わるかなって」
七海:「それ、提出するんじゃないの?」
奈津美:「え?」
七海:「進路希望のやつ」
奈津美:「あ!!」
七海:「……ふふっ」
奈津美:「え、どうしようこれ……」
七海:「あはははははっ、おもしろ、お腹痛い……っ」
奈津美:「笑い事じゃないよ……!」
七海:「あーあ……、ふふっ、失くしたことにして、明日またもらったら?」
奈津美:「怒られるかなあ……」
七海:「さあねえ」
奈津美:「まあ、もういいや。仕方なし」
七海:「どうすんの?」
奈津美:「紙飛行機にする」
七海:「また投げるの?」
奈津美:「うん。叶いますようにって全力で投げる」
七海:「……ちょっと貸して」
奈津美:「え? うん」
七海:「ここをね、こうやって折るでしょ」
奈津美:「うん」
七海:「そして、反対も」
奈津美:「うん」
七海:「で、これをまたこうやって折って」
奈津美:「……」
七海:「そして、ここも折れ線をつけるでしょ……。はい、これでお終い」
奈津美:「あ、ありがとう」
七海:「それね、すごいよく飛ぶの」
奈津美:「よく知ってるね」
七海:「……お父さんから教えてもらったんだ」
奈津美:「へえ……」
七海:「飛ばさないの?」
奈津美:「……これはね、持って帰る」
七海:「なんで?」
奈津美:「折り方、覚えたいから」
七海:「別にまた教えるのに」
奈津美:「いやいや、七海さん。甘く見ちゃだめよ。わたし、本当にこういうの覚えられないんだから」
七海:「ふふっ、確かに」
奈津美:「確かにってどういうこと? そんなとこ、七海には見せてないのに」
七海:「なんとなく分かるから」
奈津美:「なにそれ」
奈津美M:隣でごめんって言いながら笑う七海の肩に、わたしは頭をぐいっと押し付けた。
顔を見られたくなかったの。
わたしは今、きっととんでもなく泣きそうな顔をしてるから。
怖かった。
七海がいなくなっちゃうんじゃないかって。
だからああやって、わたしの夢に”七海と一緒に”って勝手に付け加えた。
七海と過ごして分かったことがある。
この子は人をよく見ている。
わたしが親のことを話すとき、ほんの少しの声の震えを七海はきっと聞き取っている。
でも、知らないふりをしてくれているのだ。
だから、わたしも知らないふりをしないと。
この子が、紙飛行機を見て悲しそうに目を伏せたことなんて。
金木犀の甘い香りが今は煙みたいに苦しい。
どこまでも続く空を見ながら、わたしは怯える心を両手で隠した。
秋よりもぬるい陽光の中。
わたしはあの子の手を離せなくなってしまった」
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七海:「……奈津美?」
奈津美:「七海、ごめんね。遅くなっちゃった」
七海:「どうしたの、その目……」
奈津美:「あ、腫れてる? ごめんねぇ、なんか全然治らなくてさ」
七海:「……まって」
奈津美:「な、なに」
七海:「動かないで」
奈津美:「うん」
七海:「口元のところ、切れてるじゃん」
奈津美:「ああ、まあ、ね。でも、ほんの少しでしょ?」
七海:「そうだけどさ」
奈津美:「絆創膏はったら逆に目立つかなあって思って」
七海:「目立つだろうね」
奈津美:「あ、もう痛くないから大丈夫、安心して」
七海:「……そっか」
奈津美:「うん」
七海:「なんか明日、雨ふるっぽいよ」
奈津美:「そうなんだ」
七海:「いつもよりも寒いみたいだから気をつけないと」
奈津美:「……」
七海:「そういえば昨日のやつ、先生に怒られなかった?」
奈津美:「……」
七海:「……奈津美?」
奈津美:「……わたし、七海のそういうとこ大好き」
七海:「は?」
奈津美:「何も聞いてこないところ」
七海:「なにそれ……?」
奈津美:「普通、気になるじゃん。目腫らして、しかも怪我してたらさ。でも、七海は聞いてこないでしょう? 何があったのって」
七海:「……」
奈津美:「七海は優しいね」
七海:「……そんなことないよ」
奈津美:「あるんですー」
七海:「……」
奈津美:「……あのね、昨日、お父さんとお母さんに言ったんだ。
東京に行ってみたいって」
七海:「うん」
奈津美:「そうしたら怒られちゃった。そんで、パシンッて思いっきりやられたの」
七海:「え?」
奈津美:「親はさ、わたしにこの町から出てほしくないんだよ」
七海:「どうして?」
奈津美:「……お父さんのね、妹。お母さんにとっては義理の妹であり、友達で、わたしにとってはおばさん」
七海:「うん」
奈津美:「そのおばさんはね、二十歳の時にみんなの反対を押し切って東京に出て行っちゃったんだって。
喧嘩して出て行ったから、家にも帰って来なくて……、3年後にねやっと連絡が来たと思ったら警察からだったんだって」
七海:「警察?」
奈津美:「おばさんね、部屋の中で死んでたの。多分、自殺だって」
七海:「……」
奈津美:「なんでそんなことをしたのかは誰も分からない。誰も連絡取ってなかったから」
七海:「……そっか」
奈津美:「明るくて元気で、お日様みたいな人だったんだって。
赤ちゃんだったわたしを抱っこしてる写真見たことあるんだけど、本当にそんな感じの人だった」
七海:「……」
奈津美:「ずっとね、おばさんの話を聞かされてきた。
都会に出ると、こわいことがたくさんあるんだって。
都会だけじゃない。
お父さんとお母さんと離れるだけで、危ないって。
スマホを買ってくれないのも、テレビとか動画サイトとかで見れるものが決まってるのも、全部全部わたしに大きな世界のことを隠すためなの。
分かってたから、わたしも興味がないふりをしてた」
七海:「……それで、どうするの?」
奈津美:「……諦めたくないなあ」
七海:「でも、そのおばさんみたいに死んじゃうかもしれないよ?」
奈津美:「そうだけど……、楽しいことだってあるだろうし、嫌なこととか怖いことからは逃げるように頑張るし。
それに、わたし丈夫だからさ」
七海:「何言ってんの」
奈津美:「……」
七海:「簡単に死んじゃうんだよ、人間なんて」
奈津美:「七海……?」
七海:「だから、心配してるんだよ。奈津美のお父さんも、お母さんも」
奈津美:「……うん」
七海:「……」
奈津美:「てことは、この怪我も愛の形ではあるのかな」
七海:「そうかもね」
奈津美:「痛いけど」
七海:「……少しだけ、羨ましい」
奈津美:「え?」
七海:「そうやって心配されたりするの」
奈津美:「……」
七海:「でも、叩かれるのはやだよね。痛いし」
奈津美:「……うん」
七海:「……奈津美もだよね」
奈津美:「え?」
七海:「奈津美も聞いてこないよね。私、変なこと言ってんのに」
奈津美:「……」
七海:「ねえ、ちょっと着いて来て」
奈津美:「どこに行くの?」
七海:「……私の家」
奈津美M:七海はそう言って歩き始めた。
長い階段をずっと降りていって、緩やかな坂をまた下っていく。
陽が落ち始めて空の色が変わっていく中、、何も話さずに歩いていく。
畑があって、ぐねぐねと道を曲がって、家がぽつぽつ建っていて、また畑で、そんな道を繰り返していくと、少しずつ建物が増えていく。
そこからしばらく歩いたところにある、小さなアパートの一室へとたどり着いた。
カーテンの隙間から差し込む橙色の光だけが細く部屋を照らす。
薄暗い室内にはいろんなゴミが散らかっていた。
それを慣れたように蹴とばしながら七海が道を作っていく。
奥に行ったところに、不自然にぽっかりと開いたスペースがあった。
七海はそこに座った。
わたしも隣に座った。
まるで、小さな小さなゆりかごのように思えて、わたしは心臓の痛みを誤魔化すように七海にぴたりとくっついた。
七海:「ごめんね。散らかってて驚いたでしょ」
奈津美:「ううん……」
七海:「片付けても、片付けても、お母さんが散らかすんだよね」
奈津美:「お母さんは今どこに?」
七海:「分かんない」
奈津美:「……」
七海:「……ねえ、あれ見える?」
奈津美:「あれって……?」
七海:「ほら、そこの棚に置いてある壺」
奈津美:「……うん」
七海:「あれね、私のお父さんが入ってるの」
奈津美:「……っ」
七海:「私が8歳の時、お母さんとお父さんと海に行ったんだ。
すごく楽しかった。
だから、もっともっと向こうに行きたいって思って、一人でどんどん泳いじゃったんだ。
後ろからお父さんの止める声がしたのに、私はまるで鬼ごっこみたいに笑って逃げてさ。
そしたら、急に深くなって足が付かなくなって、潮の流れも急に強くなってぐいって引っ張られたの。
パニックになっちゃって、水もたくさん飲んじゃって、怖くて苦しくて……。
それで……、気付いたら病院にいた。
お父さんが助けてくれたんだって。
でも、お父さんは死んじゃった」
奈津美:「七海……」
七海:「私がお父さんを殺したの。
だから、お母さんは私のことを恨んでる」
奈津美:「どうして……」
七海:「そりゃ、お母さんの大好きな人を殺しちゃったんだもん」
奈津美:「でも、七海もお母さんにとっては」
七海:「子供の方が大切だって思う人もいるけど、そうじゃない人だっている。
子供が一番だなんて、それが当たり前だなんて、そんなのは嘘だよ」
奈津美:「……」
七海:「お父さんが生きてるときから、お母さんは私よりもお父さんが好きなんだろうなって思ってた。
私はお父さんとの間に生まれたから、お母さんに大切にされてただけなんだよ。
お父さんが死んじゃったときから……、私がお父さんを殺しちゃったときから、もう私はお母さんにとって大切な存在じゃないの」
奈津美:「七海は、お母さんのことどう思ってるの……?」
七海:「……大切だよ」
奈津美:「……」
七海:「私、お父さん似なんだ」
奈津美:「うん……」
七海:「目の色とか、髪の感じとか、全体的な雰囲気とか。
だから、お母さんは私を見ると苦しそうな顔をするの。
お父さんを殺した奴と、お父さんが似てるから。
だから、なるべくお母さんと顔合わせないようにして、家を空けるようにしてた。
あと、お母さんのために家のことをしたり……。
ぜんぶぜんぶ意味ないのは分かってる。
こんなことしても、お父さんが私のせいで死んじゃった事実は変わらない。
私がどれだけ自分を責めて、苦しめても許されない。
けどね……、それもあと少しで終わるんだ。
あともう少しで、お母さんは私と死ぬつもりでいるから」
奈津美:「え……?」
七海:「何となくだけどね、そんな気がするの。
……お母さん、昔この町に住んでるときにお父さんと出会ったんだって。
だから、今もきっとお父さんとの思い出を辿ってるんじゃないかな。
それが終わったら、きっと死ぬんだと思う」
奈津美:「死ぬって……」
七海:「昔、一回だけ、お母さんと海で死のうとしたことがあったの。
お父さんが死んじゃった海で。
その時、私は何の抵抗もしなかった。
苦しくても、これでいいんだって思えた。だから、すんなり終わると思ってたのにね。助かっちゃったんだ」
奈津美:「……」
七海:「でも、案外簡単に人は死ねるんだって実感した。
お父さんの時も思ったけど……、本当に呆気ないんだよ」
奈津美:「七海……」
七海:「だから、今度こそちゃんとできたら良いな」
奈津美:「……やだよ」
七海:「……」
奈津美:「死んじゃうのは嫌だよ……」
七海:「でも、それが私の夢だからさ」
奈津美:「……」
七海:「応援しててよ、叶いますようにって」
奈津美:「でも、死んじゃうのは寂しいよ」
七海:「……そっか」
奈津美M:なぜか嬉しそうに小さく笑った七海に、わたしは何も言えなかった。
陽がどんどんと落ちていく。
もう帰りましょうと17時を知らせるチャイムが鳴るまで、
小さくて、暗くて、冷たいゆりかごの中で、わたしたちはただ静かに身を寄せ合ってた。
狭い狭いその場所で、わたしは千切れそうな心をぎゅっと丸め込む。
秋よりも冷たい、沈んだ陽光の中。
わたしはこの子の幸せを見つけたかった」
==================
奈津美:「七海、ごめんね。委員会で遅くなっちゃった」
七海:「ううん、あのさ奈津美、昨日は」
奈津美:「今日、寒いね!」
七海:「……そうだね」
奈津美:「すっごい黒い雲だよ。もういつ雨降ってもおかしくないね」
七海:「ねえ、奈津美」
奈津美:「あのね!!」
七海:「……っ」
奈津美:「わたし、やっぱり諦めたくないんだ」
七海:「……」
奈津美:「……ほら、これ」
七海:「この前のノート……?」
奈津美:「読んでみて」
七海:「……なんか、増えた?」
奈津美:「わたしね、都会に行ってみたいとか、東京にとか行ってるけど、それだけじゃないんだ。
いろんな場所に行ってみたいの。
七海と、一緒に行きたいの」
七海:「……」
奈津美:「ほら、ここら辺はね国内の話でしょ。
でもね、後ろの方に書いてあるんだけど、最終的には外国にも行ってみたいなって思ってて」
七海:「私と?」
奈津美:「うん。七海と」
七海:「……ふふっ」
奈津美:「七海……?」
七海:「奈津美のばーか」
奈津美:「……」
七海:「無理って分かってるでしょ。私の夢はお母さんと一緒に死ぬことなんだから」
奈津美:「無理じゃないよ」
七海:「やめてよ、そうやって言うの」
奈津美:「……」
七海:「私、奈津美の夢が叶ったらいいなって思うよ。
だから、奈津美もそう思っててよ」
奈津美:「……そんなの、夢じゃないよ」
七海:「……」
奈津美:「七海がたくさん自分を責めちゃうのは分かるよ。
たくさん自分を苦しめちゃうのも分かるよ。
でも、わたしはそれが嫌だ」
七海:「嫌って……」
奈津美:「これから、怖いことも、悲しいこともたくさんあるかもしれない。
でも……、でもね、きっと素敵なことだってあるよ。
何を見ても悲しくても苦しくても、広い世界にはそれを忘れられるほど楽しいことも、綺麗なものもあるかもしれない。
だから、わたしは七海と一緒に」
七海:「やめてよ……!!」
奈津美:「……っ」
七海:「奈津美は何にも知らないじゃん……!! 知らないからそんなこと言えるんだよ!!」
奈津美:「知らないよ!!
知らないけど、おかしいのは分かるよ!! 七海、幸せそうに見えないもん! ずっと寂しそうだもん……!!」
七海:「……っ」
奈津美:「ねえ、わたし、どんなに怒られても、叩かれても、何度だってお父さんたちに話すよ……!
このノートに書いてあること、ぜんぶ七海とやるんだって。
だから、」
七海:「うるさい!!」
奈津美:「あ……っ」
(ノートを破く七海)
七海:「うるさいうるさい……!!
こんなノート見せて来ないでよ!!」
奈津美:「ノートが……っ」
七海:「うざいんだよ……っ!
こんな幸せそうな、明るくて綺麗なことばっかで……!!
私だって……、私だってそうなりたかった……!!
でも、無理なの!!」
奈津美:「……っ」
七海:「ずっとずっと苦しかった……。
お父さんが私のせいで死んじゃってからずっと……!!
楽しいのも、幸せなのも、誰も許してくれない!! 私だって自分を許せないの!!
どうして、私生きてるんだろうって毎日毎日考えて……っ。
でも、やっとそんな中で夢を見つけたの!!
お母さんと一緒に死ぬことが私の幸せなんだよ……!!
死ねばやっと終わるの……っ!!
お母さんにも許してもらえるかもしれない……っ。
そうやって思いながら必死に生きてきた私のことなんて、奈津美は知らないじゃん!!
それなのに、どうして何も知らない奈津美に夢じゃないって言われなくちゃいけないの……!!
どうして、普通に夢を持てた奴に、否定されなくちゃいけないの!!」
奈津美:「……」
七海:「……私、もう帰るから」
奈津美:「……」
七海:「……」
奈津美:「七海」
七海:「……」
奈津美:「……ごめんね。
でも……、わたしはやだよ。七海が苦しいのも、七海が死んじゃうのも。
七海のこと、大好きだもん」
七海:「……っ」
奈津美:「わたしはね、どんな七海でも一緒にいたいよ」
奈津美M:七海は何も言わずにその場から去っていった。
ぽたぽたと雨みたいに涙を落としながら、びりびりに破かれたノートを拾い集める。
暗い暗い空の下、秋にしては冷たい風が吹く中で、わたしはあの子の幸せを考えてしまう。
でも、気づいてしまったの。
これは、わたしの幸せなんだって。
わたしが七海と一緒にいたいだけなんだって。
あの子はわたしの夢を聞いて否定しなかった。
でも、嫌だ。
わたしは嫌だよ。
小さくて、暗くて、冷たいゆりかごの中で感じたあの子の温もりを思い出す。
あの子は一人であの場所に帰ったんだ。
降り始めた雨の中、わたしは崩れかけた心を割るように爪を立てる。
冬のように寒く、影った陽光の中。
わたしは二人でいたかったのに、一人になってしまったんだ。
それから1週間。
毎日陽が暮れるまで、いつもの場所で待っていたけれど、七海は来なかった」
==================
(1週間後)
奈津美:「……」
七海:「……なーつみ」
奈津美:「……っ」
七海:「こんな近くにいたのに声かけるまで気づかないなんて。
空に何か面白いものでも飛んでた?
それとも、寝てたの? 今日、あったかいもんね」
奈津美:「七海……」
七海:「ふふっ、驚きすぎじゃない?」
奈津美:「どうして……?」
七海:「どうしてって、気が向いたからだよ。奈津美が言ったんでしょ。気が向いたらでいいよって」
奈津美:「そうだけど……、あ、七海。この前はごめんね」
七海:「(前に被せて)やめて」
奈津美:「……っ」
七海:「謝らないで。
私も謝んないから」
奈津美:「……うん」
七海:「あのさ、奈津美にお願いがあって」
奈津美:「お願い?」
七海:「うん。
……これ、あげる」
(何かが入った封筒を渡す)
奈津美:「なに、これ?」
七海:「今はね、内緒。
明後日の朝になったら開けてほしいの」
奈津美:「明後日の朝?」
七海:「そう。
絶対の絶対に、明後日の朝。
守らなかったら大変なことになるからね」
奈津美:「大変なことって?」
七海:「地球が滅亡するかも」
奈津美:「ふふっ、それは大変だね」
七海:「だから、ダメだよ」
奈津美:「……」
七海:「分かった?」
奈津美:「……うん、分かった」
七海:「約束ね」
奈津美:「うん。約束」
七海:「あとさ、もう一つ」
(奈津美を抱きしめる七海)
奈津美:「な、なに?」
七海:「ハグだよ」
奈津美:「……ふふっ、どうしたの急に」
七海:「なんとなく」
奈津美:「なんとなくか」
七海:「そう、なんとなくだよ」
奈津美:「……あったかいね」
七海:「うん」
奈津美:「……ねえ、七海」
七海:「なあに?」
奈津美:「わたしね、七海と一緒にいる時間ね幸せだよ」
七海:「……うん」
奈津美:「変だよね。わたしたち、会ったの最近なのにね」
七海:「……ふふっ」
奈津美:「七海……?」
七海:「初めて奈津美を見たときのことを思い出して」
奈津美:「それでなんで笑うの?」
七海:「奈津美、すごい勢いで紙飛行機を投げてたでしょ」
奈津美:「見てたの?」
七海:「うん。見てたよ。
面白い子だなって思った」
奈津美:「恥ずかしいな」
七海:「……あの時、どうして私のことを引き留めたの?」
奈津美:「七海とお話してみたかったの」
七海:「……そっか」
奈津美:「七海はどうしてわたしの話を聞いてくれたの?」
七海:「奈津美と話してみたかったの」
奈津美:「ふふっ、一緒じゃん」
七海:「ね」
奈津美:「……あのね、七海」
七海:「どうしたの?」
奈津美:「……」
七海:「……奈津美?」
奈津美:「ううん、なんでもない……」
七海:「本当に?」
奈津美:「……うん」
七海:「なあに? おセンチなの?」
奈津美:「ふふっ、そうなのかも」
七海:「そっか」
奈津美:「でも、今は楽しくて、幸せだよ」
七海:「……うん」
奈津美:「……」
七海:「……あったかいね」
奈津美:「うん。
……あったかいね」
奈津美M:泣きそうになるのを誤魔化すために、七海の肩に顔を押し付けた。
くすぐったいって笑う七海にバレないように、わたしは唇を噛む。
そうしないと色んな言葉が溢れてきそうだったから。
お願いだから、遠くに行かないで。
わたしの夢のために、幸せのために、一緒にいてよ。
澄んだ空の下、あたたかい温もりに縋りながら、震える心を両手で包んだ。
秋の優しい陽光の中。
わたしはこの子と二人でいたかった。
この日から、二日経った朝。
あるニュースがテレビで報道されていた。
海で親子とみられる二人の女性が遺体で見つかった。
娘とみられる女性には、抵抗した形跡があったそうだ。
ねえ、七海。
七海は生きようとしてくれたの?」
==================
(11月後半)
奈津美:「……あーあ、寒いなあ。もう冬なのかなあ。
……七海、これまだ開けてないよ。
地球滅亡しなかったじゃん。
七海のうそつき。
……妖精みたいって思ってたのに、オバケになっちゃったね」
奈津美M:いつもの場所でわたしは一人そう呟いた。
あのニュースがどうか七海のことじゃありませんようにって願っていたけれど、それは叶わなかった。
七海との繋がりが切れてしまいそうで、わたしは渡された封筒を開けられずにいる。
でも、もうそろそろ開けないと。
わたしはテープを剥がして封筒を開けた。
奈津美:「なにこれ……?」
奈津美M:中には一冊のノートが入っていた。
ノートを開くと、癖のある文字が並んでおり、あのノートに書いてあった夢が書いてあった。
でも、全く一緒ではない。
はてなマークが書かれているところ、小さく“忘れちゃった”って書いてあるところもある。
ページを捲っていくと、わたしの名前が書かれていた。
奈津美:「奈津美へ……?」
七海:「奈津美へ
ノート破っちゃってごめんね。
同じノート探したんだけど、見つからなくて、違うノートになっちゃった。
奈津美の夢も思い出せるだけ書いたんだけど、違ったかも。
ごめんね。
あと、字が汚いのもごめんね。
今日の夜、お母さんはきっと死ぬつもりです。
だから、もう奈津美とは会えません。
そう書こうと思ってたのに、私、夢が変わっちゃったんだ。
奈津美の夢をここに書いているとき、二人でいろんなところに行くのを想像したの。
そうしたら、死にたくないなって思っちゃった。
だから、お母さんに話してみる。
すごく怖くて緊張するけど、頑張ってくるね。
でも、それでも死んじゃったら、奈津美だけでも夢を叶えてね。
それで、いつか会えたら話をたくさん聞かせて。
約束だよ。
私も奈津美と一緒にいるとき、楽しくて幸せだった。
悲しいのも苦しいのも忘れてたぐらいに。
ありがとうね。
大好きだよ。
最後に、私の一番の夢をおしえてあげる。
奈津美が幸せでいてくれること。
だから、どうかどうか幸せでいてね。
お願い」
奈津美M:涙がぽたぽたと零れて、ノートの上へと落ちていく。
心がぐちゃぐちゃで、喉が熱くて、息ができなくて、どうしたら良いのか分からない。
七海は生きようとしてくれたんだ。
あの子はわたしと一緒にいてくれようとしたんだ。
でも、あの子は死ぬとき苦しかっただろうな。
それが幸せだと思えてたら苦しくなかったのかな。
わたしがあの子の夢を否定して、わたしの夢を無理やり見せて、一緒がいいだなんて言ったから。
あの子の手を無理やりにでも引っ張っていこうとしたから。
わたしがあの子の夢を受け止めて、ちゃんと叶いますようにって願えていたら、あの子は怖くなかったのかな。
もっとわたしがあの子のために何かできていたら、今も生きていたのかな。
ごめんね。
ごめんなさい。
ああ、だめだ。
嫌だよ、七海。
どうして、死んじゃったの。
七海がいなくなっちゃったら、わたしの夢なんてもう叶わないのに。
わたしだって、七海に幸せでいてほしかったんだよ。
眩しい空の下、叶いますようにって願いを込めながら、あの子に教えてもらった紙飛行機を折る。
いつか、七海に会えますように。
いつか、二人で一緒にいろんなところに行けますように。
どうか、七海が幸せでありますように。
冬よりもあたたかい陽光の中。
わたしは紙飛行機を飛ばした。
〈終〉
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