消えた夕蝉

・利用前に注意事項の確認をよろしくお願いいたします。

 事前報告で教えてほしい内容、配信媒体などにおけるクレジット表記の決まりなどに関して書いてあります。

登場人物

・少女(♀):15歳の少女。中学3年生。

・男(♂):30歳の男性。

*後書きに人物に関しての詳細を記載しています。本編を読んだ後にご覧ください。

『消えた夕蝉』

作者:なずな

URL:https://nazuna-piyopiyo.amebaownd.com/pages/9101508/page_202507102243

少女:

男:

本文

少女M:「夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰もいない寂しい駅で、


あたしは、蝉を見ていた」



===============



(しゃがんで地面を見ている少女に、後ろから声をかける男)


男:「なにを見てるんだい?」


少女:「……っ」


男:「ああ、待った。悪いけど、こっちを見ないでくれ」


少女:「え……」


男:「それは……、羽化に失敗した蝉かい」


少女:「……」


男:「かわいそうになあ。

ずっと土の中にいて、やっと羽化できると思ったのにこんなことになって」


少女:「……」


男:「君はこんなとこで、ずっと蝉を見ていたの?」


少女:「……はい」


男:「一人で?」


少女:「一人で」


男:「面白い?」


少女:「面白くはないです。でも……」


男:「でも?」


少女:「……見ていたくて。なんだか、この子は」


男:「……」


少女:「この子は……」


男:「……」


少女:「……」


男:「……もういいよ、振り返って」


(恐る恐る振り返る少女)


少女:「あ……」


男:「ごめんね、怖かったろ」


少女:「……」


男:「見たところで怖いか。碌に顔も見えないんじゃ」


少女:「あ、いえ……」


男:「顔を見られたくなくてね。

帽子だけじゃ心許なかったが、いやあ、不精で伸ばしっぱなしの髪がこんなところで役に立つとは。

まあ、君のこともよく見えないんだけどさ」


少女:「……」


男:「怪しいもんじゃないよ」


少女:「そんな……、ごめんなさい、あたし」


男:「謝らなくていい。こっちこそ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ」


少女:「いえ……」


男:「そんなことより、子供一人でこんなところに来たら危ないだろ。

君、地元の子?」


少女:「は、はい」


男:「じゃあ、麓の村の子かな」


少女:「そうです。だから大丈夫ですよ。あたし、ちゃんと帰れますから」


男:「だとしても、こんな夕方に山の中は危ないよ。もう少しはやく帰りな」


少女:「おじさんは……?」


男:「おじさん? あははっ、そうか。初めて言われたけど、君ぐらいの子からすれば当たり前か」


少女:「あ、ごめんなさい……っ」


男:「いいや、ぜんぜん。

……そうだよな。そんだけ経ったんだよな」


少女:「……」


男:「おれは大丈夫だよ」


少女:「そう、ですか」


男:「この駅にはよく来るの?」


少女:「はい。この辺りでよく遊んでるから」


男:「そっか。じゃあ、余計なことを言ったね」


少女:「あ、あの」


男:「ん?」


少女:「おじ……、お兄さんは何を」


男:「おじさんでいいよ。むしろ、その方が良い」


少女:「え?」


男:「なんか気に入ったんだ。そう呼ばれると、思ったよりも長く生きたんだなって思えるから」


少女:「……」


男:「それで、なんだったっけ?」


少女:「……おじさんはどうしてここに?」


男:「気になる?」


少女:「この辺り、あまり人が来ないから少しびっくりしちゃって」


男:「ここに来たのは……、どうしてだろうね。

おれは……、そうだなあ。なにをしに来たんだっけな……」


少女:「……」


男:「……内緒」


少女:「内緒?」


男:「あははっ、さっきから怪しいことしか言えないな。ごめんね」


少女:「……」


男:「……大した理由じゃないんだよ、本当に。

簡単に言えば、帰ってきたんだ」


少女:「え?」


男:「おれも元々はあの村に住んでたからね。もう15年も前の話だけど」


少女:「そうなんですか?」


男:「だから、顔を見られたくないんだ。

もう随分と昔の話なんだけど、なんか気まずくてね」


少女:「おじさんのこと、あたし知りませんよ」


男:「そりゃそうだ。

でも、もしかしたら君が、こんな人がいたって話すかもしれないだろ」


少女:「そんなこと……」


男:「君、友人はいる?」


少女:「え?」


男:「仲のいい子は?」


少女:「……いますよ、たくさん」


男:「たくさんか。

じゃあ、なおのこと言えないなあ」


少女:「……」


男:「今は夏休みか」


少女:「はい」


男:「いいね。友達と遊びに行ったり、毎日楽しいだろう」


少女:「……楽しいですよ」


男:「嘘が下手な子だね」


少女:「……」


男:「それが本当なら、こんなところに一人でなんていないよ」


少女:「……」


男:「ははっ、それは決めつけがすぎるか」


少女:「……」


男:「それにしても、あんだけ暑かったのに、夕方になると過ごしやすいなあ。この辺りは」


少女:「……」


男:「……」


少女:「……あたし、」


男:「ん?」


少女:「あたし、うそつくの得意なんですよ」


男:「……」


少女:「ほかに得意なことなんてないのに、うそつくのは上手なんです。

……でも、今は上手にできないみたい」


男:「……もう夏も終わりだからね。夏負けかな」


少女:「……そうかもしれません」


男:「あと、相手が悪かったのかもな。

おれはね、嘘を見抜くのが得意なんだ。

歳を重ねるごとに、人の言っていることが嘘か本当か分かるようになった。

おれがそういう生き方をしてきたからだろうけど」


少女:「じゃあ、おじさんの勝ちですね」


男:「あははっ、そうだね。

でも……、君もそういう人間になるんじゃないかな」


少女:「どうしてですか?」


男:「何となく。おれと似てるような気がするから。

っと、さすがにこれは、若い女の子を相手に失礼すぎるか。

ごめん、きっとおれの思い過ごしだ」


少女:「……」


男:「さてと、おれはもう行くよ」


少女:「え?」


男:「君も気をつけてね」


少女:「あ、あの」


男:「ん、どうかした?」


少女:「大丈夫ですか?」


男:「大丈夫かって、帰れるかってこと?」


少女:「はい」


男:「平気だよ。じゃあね」


(駅から遠ざかっていく男)



女M:「おじさんはそう言って電車を待たずに帰っていった。

一人残された駅で、あたしは蝉を見る。


夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰もいない寂しい駅で、電車を待ちながら


あたしは、地べたに落ちた蝉を見ていた」



=================



男:「こんばんは」


少女:「あ……っ」


男:「大丈夫だよ、こっち見ても」


少女:「……」


男:「また君がいるかなって思って、前もって対策しといたんだ」


少女:「あ、あの、こんにち……、こんばんは?」


男:「どっちだろねえ。陽が沈み切ったわけじゃないけど……、夕暮れ時はこんばんは、なのかな」


少女:「じゃあ、こんばんはで」


男:「ああ、こんばんは。

今日も暑かったね」


少女:「そうですね」


男:「まだしばらくは暑そうだなあ。

泊ってるところのオヤジさんが新聞を見ながらぼやいてたよ。夏を乗り越える前におっちんじまうって」


少女:「おじさんは村にいるんですか?」


男:「いいや、隣町の安宿に泊まってるんだ。いいね、あの町は。出稼ぎに来てる人が多いから、宿も多いし、安いし」


少女:「ああ……、賑やかなところですよね。村と違って」


男:「村はあまり好きじゃない?」


少女:「……好きでも嫌いでもないです。

何もないところだなって思います。お隣とかに行くと余計にそう思わされて」


男:「ああ、それはそうだね」


少女:「とくに名物とか、そういうのもないし」


男:「なにかうまいもんでもあれば、いいんだけどね」


少女:「でも、何かあったところで外から来た人に優しくないから、おじさんは泊まらなくてよかったと思いますよ」


男:「……うん、よく知ってるよ」


少女:「……」


男:「隣町の一番いいところは、外から来た人間かどうかなんて誰も気にしちゃあいないってとこだね」


少女:「……そうですね」


男:「君、今いくつ?」


少女:「15歳です」


男:「中学三年生?」


少女:「はい」


男:「君ぐらいの時までは村にいたんだよ」


少女:「そうだったんですか?」


男:「田中先生って知ってる?」


少女:「あ、知ってます。隣の教室の担任の先生です」


男:「へえ、あの先生まだやってるんだ。

おれの担任だったんだよ」


少女:「じゃあ、すごいですね。若い時からずっとあの中学で先生してたんだ」


男:「そんな若かったかなあ」


少女:「でも、15年前って」


男:「まあ、そうだね。

だが……、15年ってのは案外早いもんだよ」


少女:「そうなんですか?」


男:「15年しか生きてない子に言っても分かんないだろうけどね」


少女:「……」


男:「でも、長くもあったかな」


少女:「早いのに?」


男:「うん」


少女:「……」


男:「君もいつか分かるよ」


少女:「……おじさんは楽しかったですか?」


男:「なにが?」


少女:「15年前」


男:「……どうだったかな。おれも、あんまり友達とかいなかったから」


少女:「……」


男:「おれはね、元々はこの村の子じゃなくてさ、親が事故で死んじまって、親戚に引き取られてこの村に来たんだよ」


少女:「じゃあ、あたしと一緒だ」


男:「え?」


少女:「あたしも親いなくて、おばあちゃんとおじいちゃんと住んでるから」


男:「だから、君も友人がいないのか」


少女:「……そうかもしれません」


男:「やっぱ外から来た人間に生き辛い場所ってのは、今も変わらないんだね」


少女:「……」


男:「おれも友人はいなかったけど、似たような奴はいたよ」


少女:「似たような?」


男:「ああ。よく遊んだりしてたな。放課後とか」


少女:「それは友達じゃないんですか?」


男:「違う」


少女:「……」


男:「……よくさ、この辺りでも遊んだよ。

遊んだって言うよりは……、ただ一緒にいただけなのかもしれない」


少女:「……」


男:「君はいつも一人なの?」


少女:「……はい。

でも、少し前までは違ったんです」


男:「違った?」


少女:「あたしにもいたんですよ。その……、友達、みたいな人」


男:「その子も外から来た子だった?」


少女:「え?」


男:「どう? 当たり?」


少女:「は、はい。どうして……?」


男:「何となく。外から来た者同士でつるむだろうと思って」


少女:「おじさんの友達みたいな人は、外から来た人だったんですか?」


男:「あー、どうだろう。微妙だなあ」


少女:「微妙って?」


男:「あいつも親はいなかったけど、ずっと小さい時から村にいたからか、ハブられたりはしてなかったからさ」


少女:「ああ……」


男:「君の友達みたいな人はどうしたの?」


少女:「引っ越しちゃったんです」


男:「そっか。まあ、外から来た奴は大体、何かの都合とかですぐにいなくなるからなあ」


少女:「……」


男:「寂しい?」


少女:「……分かりません」


男:「友達“みたい”な奴だもんな。分かんないのも当たり前か」


少女:「……そうですね」


男:「……」


少女:「……おばあちゃんたちには心配かけたくないから、たくさん嘘を吐いています。

友達たくさんいてね、みんな仲良しだよって。

今日も友達と遊びに行ってるって思ってるはずです」


男:「おばあちゃんにはそれが嘘だってバレてないの?」


少女:「あたし、うそつくの得意だから」


男:「どうだか」


少女:「おじさんには負けちゃったけど」


男:「そうだね。

でも、……おれもここにいたから、君が嘘を吐いているって気づいたのかもしれない」


少女:「……」


男:「こんなぼろい駅、おれがいた頃も滅多に使う人いなかったからね。

人間よりも幽霊の方がいるんじゃないかな」


少女:「え?」


男:「君、聞いたことない? この辺りで幽霊が出るって話」


少女:「幽霊、ですか?」


男:「ああ、男の」


少女:「男の……?」


男:「うらめしやー」


少女:「……っ」


男:「ふ……っ、あははっ、なんてね」


少女:「……」


男:「驚いた?」


少女:「少し……」


男:「あははっ」


少女:「驚かせるつもりはないって言ってたのに」


男:「そうだったね。ごめんごめん。

でも、そうか、聞いたことないか」


少女:「ごめんなさい」


男:「いいや、変なこと聞いてごめんね」


少女:「おじさんは幽霊に会いたいんですか?」


男:「……どうだろうね。どっちでもないかな。

でも、人と会うぐらいなら幽霊の方がいいなあ。人間の方が怖いからさ」


少女:「……そうですね。

人間は、怖いですね」


男:「……」


少女:「……」


男:「……今日も駄目か」


少女:「え?」


男:「いいや。さて、おれはそろそろ帰るよ」


少女:「そうですか」


男:「あ、ねえ」


少女:「は、はい」


男:「友人と会ってたって言うのは嘘だけどさ、人と会ってたのは本当だから、嘘とも言い切れないんじゃないかな」


少女:「え」


男:「嘘つくのって辛いだろ」


少女:「……」


男:「まあ、おばあちゃんからしたら、一人でいるよりも知らないおっさんと話してる方が心配かもしれないけど」


少女:「ふふっ、そうかも。

……ありがとう、おじさん」


男:’「じゃ、気を付けて」


少女:「はい」



女M:「おじさんはひらひらと手を振って去っていった。

一人残された駅で、あたしは目を瞑る。


夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰もいない寂しい駅で、電車を待ちながら


あたしは、翅がぐちゃぐちゃになった蝉を見ていた」



=================



男:「こんばんは」


少女:「こんばんは」


男:「……ここまで来るのはきっついな。

やっぱ違うね。これが若さってやつか」


少女:「慣れてるから」


男:「慣れても、おじさんには無理だな」


少女:「そんなに大変なのに、どうしてここに来るんですか?」


男:「……どうしてだろうねぇ」


少女:「……」


男:「言ったろ。内緒だよ」


少女:「……」


男:「そんなに気になる?」


少女:「はい」


男:「じゃあ、君は?」


少女:「え?」


男:「君はどうしてこんなとこにいるの?」


少女:「……内緒です」


男:「あははっ、仕返しか」


少女:「そうです、仕返しです」


男:「そっか」


少女:「……」


男:「……ここは、蝉の声しか聞こえないね」


少女:「……そうですね」


男:「怖いなとか、思わないの?」


少女:「なにがですか?」


男:「ここで何かあっても、誰も来ないだろう?

おれが君に怖いことをしても、誰も助けには来てくれないよ」


少女:「……怖い、とは思ったことないです。

誰も来なくて、蝉の声しか聞こえなくて、だから……」


男:「だから?」


少女:「……落ち着くんです。この世界には自分しかいなくて、一人でただ閉じこもっていられる気がして」


男:「……そうだね」


少女:「あたしね、ずっと一人なんです。最初から一人だったんですよ」


男:「……」


少女:「おじさんもお母さんとお父さんいないんですよね」


男:「うん」


少女:「おじさんのお母さんとお父さんは優しかった?」


男:「そうだな……。いい両親だったと思うよ」


少女:「あたしのお母さんとお父さんはね、優しくなんてなかった」


男:「……」


少女:「あたしにだって、お母さんとお父さんがいたんです。

でも、お父さんはどっか行っちゃったし、お母さんもあたしが邪魔で、おばあちゃんとおじいちゃんに押し付けていなくな

って」


男:「……」


少女:「学校でもみんなからいじめられて……。

……あたしが悪い子だったから一人になっちゃった」


男:「……そっか。

じゃあ、おれと一緒だ」


少女:「でも、おじさんのお母さんとお父さんは」


男:「優しかったかもね。

でも、両親が死んだあとは酷いもんだったよ。

おれはどこに行っても歓迎されなかったからさ。

この村にいたときも、その後も」


少女:「……」


男:「今はもう30になって一人で適当に生きてるけど、歓迎されてもない家で暮らすのは息苦しくて仕方なかった。

……ここを出て行くときは、やっと助かるんだって思ってたんだけどな」


少女:「……」


男:「君のおばあちゃんとおじいちゃんは優しい?」


少女:「優しいです。

でも……」


男:「でも、寂しいか」


少女:「……おじさんも一人なんだね」


男:「うん」


少女:「友達、みたいな人は?」


男:「君にもいたんだろう?」


少女:「いたけど、もういないから」


男:「その子のことを嫌いになったりはしないの?」


少女:「え?」


男:「いや、家の都合とはいえ、その子に置いていかれたって思わないのかなって。

おれはいなくなった側だから分からなくてさ」


少女:「……寂しいけど、でも、どこかで幸せであったらいいなって。

……こんなとこじゃ、幸せになんてなれないから」


男:「……そっか」


少女:「おじさんの友達みたいな人もそう思ってるんじゃないかな」


男:「……思ってるわけないよ。そんなこと。

ぜんぶ忘れて、楽しく生きてるんじゃないかな。あんな奴は」


少女:「……」


男:「ああ、君の友達みたいな子はそんなこと思ってないと思うよ。

ごめんね、変なこと言って」


少女:「い、いえ……」


男:「……あいつはさ、のけ者にされてたおれがかわいそうだからって、近寄ってきたんだ。

すごい明るい奴だった。いつも笑ってたし、よく喋るやつで。

おれとは正反対の人間だった。

どんな時も元気で、なぜかしょっちゅうおれのことを遊びに誘ってきてさ」


少女:「……」


男:「でも……、あまりにも正反対だから、最後までおれはあいつのことを友達とは思えなかった。

だから、結局は一人だったんだよ。

……分かり合えない人間と一緒にいるってのは、かえって孤独になるってことさ。

あいつがどう思ってたかは分からないけど」


少女:「……あたしとおじさんは?」


男:「ん?」


少女:「あたしとおじさんは分かり合える?」


男:「……ああ、似てるから。よくないとこばかりね」


少女:「……そっか」


男:「だから、こんなこと聞かせるつもりもなかったのに、ぺらぺらと話しちゃったよ」


少女:「似てるから?」


男:「そう。

……似てるのと一緒にいるのは楽だね」


少女:「……」


男:「……なあ、ついでに一つ、君に伝えたいことがあるんだ」


少女:「なんですか?」


男:「寂しくて、辛いかもしれない。

君にも許せない人がいるのかもしれない。

でもね、殺すのはだめだ」


少女:「え?」


男:「……人を殺すっていうのは、自分自身を殺すのと同じなんだよ」


少女:「おじさん……?」


男:「君とおれは似てるからさ。

きっと君も苦しむだろうから……、だから……」


少女:「……」


男:「……ああ、蜩(ひぐらし)が鳴いてるなあ」


少女:「……」


男:「夏も、終わりか」



少女M:「おじさんはそう呟くと、じゃあね、と笑ってゆらゆらと帰っていった。


殺してはいけない。

その言葉に、あたしは首を絞められたような気がした。

なぜかは分からない。

ぜんぶ、分からない。

あたしは、何をしにここに来てるんだっけ?


夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰もいない寂しい駅で、電車を待ちながら


あたしは、必死に藻掻くことしかできない蝉を見ていた」



=================



少女:「……」


男:「もう来ないかと思ったよ」


少女:「あ、おじさん。こんばんは」


男:「こんばんはって……、君は怖くないの?」


少女:「怖い?」


男:「さすがに分かるだろ。おれが誰かを殺したんだって」


少女:「……うん。でも、怖くないよ」


男:「変わってる子だね、君は」


少女:「あたしが変わってたら、おじさんも変わってるね」


男:「似てるからか」


少女:「うん、似てるから。

……似てるから、怖くないのかもしれない。

だって、あたしも殺しちゃったんだもん」


男:「は……?」


少女:「おじさん、あたしたち似てるね」


男:「……君は、誰を殺したんだ?」


少女:「……」


男:「いや……、言いたくなかったら言わなくていい」


少女:「二人ね、殺したの」


男:「……」


少女:「一人はとんでもなく嫌なやつで、もう一人は……、もう一人はね……、上手に羽化できなかった蝉みたいなやつ」


男:「……」


少女:「……」


男:「……あは、あははっ、すごいなあ。ここまで似てたら笑うほかないね」


少女:「おじさんは誰を殺したの?」


男:「おじさんだよ」


少女:「おじさん?」


男:「おれの父親の兄さん」


少女:「……」


男:「あのジジイはさ、父さんのことが嫌いだったんだ。

自分よりも優秀で、親に可愛がられてたからって言ってた。

酒を飲むと、父さんの悪口をずっと言ってくるんだ。

仕舞いには殴るわ蹴るわで、とんでもなかった。

おれ、父さんに似てたからさ、ムカついたんだろうね。

だから、わざわざ引き取って、憂さを晴らしてたんだと思う」


少女:「……」


男:「飯も自分で用意してたけど碌なもん食えなかったし、洗濯もしてもらえなくて。

自分で洗えるようになるまでは、おれ大分臭かったかも。

だから、学校で嫌われたってのもあるんだろうなあ」


少女:「……」


男:「……本当に最低な奴だったよ」


少女:「おじさんはその人に……、その幽霊に会いに来たの?」


男:「……いいや、違う。

誰に会いに来たわけでもないんだ。

ただ、あいつがいるかもしれないって思って……」


少女:「あいつって」


男:「あいつが、ジジイのことを殺そうって言ってきたんだ。明るく笑いながら、どこかに遊びに行こうって言ってるとのまったく同じ感じで」


少女:「……」


男:「あいつと一緒にジジイをさ、何とかこの辺りまで誘き出して、向こうにある池に突き落としたんだ。

成功した時、あいつはすごい楽しそうに笑ってた。

ものすごいはしゃいでたよ。良かったね、やったねって。

……なんも良くなかったけどな」


少女:「……」


男:「今も、殺した日のことを思い出す。

おれはとんでもないことをしたんだって。どうしようもなく苦しくなる」


少女:「でも、おじさんは悪くないよ」


男:「そうだろ。おれもそう思う。

でも、駄目なんだよ。君だってそう思ってるんだろう?」


少女:「……」


男:「君にはこんな思いさせたくなかったから、あんなこと言ったんだ。

もう、遅かったけどね」


少女:「……」


男:「……苦しかったろ」


少女:「楽になるために殺したのにね」


男:「そうだね……」


少女:「楽にするために、殺したのにね」


男:「……」


少女:「……」


男:「……君とおれは似てる」


少女:「……うん」


男:「あいつといるよりも楽だと思ったのに、苦しいもんだ」


少女:「……」


男:「……傷の舐め合いってやつかな。ただただ、苦しくなるだけだ。

あいつといても苦しかったのにさ。

結局、おれがどうしようもないだけなんだろうね」


少女:「……」


男:「30になったらここで会おうって言ってたんだよ。

自分たちが今15歳だから、また15年間生きたら会おうって、笑いながら言ってた。

人を殺した後だってのに。

……でも、あいつは来なさそうだ。

もう全部忘れて、今も暢気に笑って生きてんだと思うと、腸(はらわた)が煮えくり返りそうになる」


少女:「……」


男:「こんな十年も前に廃線した電車の駅なんて、蝉しかいない山の中のことなんて、覚えてないだろうな」


少女:「……ああ、そっか」


男:「……」


少女:「もう電車通ってなかったんだ。あたし、帰れないじゃんね」


男:「え……?」


少女:「帰れないの。あたし、疲れちゃって電車で帰ろうと思ってたのに……、ずっとここにいて、毎日蝉を見てて……」


男:「何を言って……」


少女:「中二の時にね、隣のクラスに新しく都会から男の子がやってきたの」


男:「え?」


少女:「みんな、こそこそ話してた。

その子がクサいとか、おかしいだとか、都会から来たから変な病気を持ってるとか、みんな嫌なことばかり言ってた。

だから、あたしね助けたかったの。その子のこと」


男:「……」


少女:「給食がない日は、お弁当をその子と分けたりね。

文房具買ってもらえなくて困ってた時は、あたしのをあげたりしてた。

あとね、一緒にいてあげようって思ったんだ。

だから、たくさん遊びに誘ったの。

一人ぼっちでいるのは寂しいって知ってたから。

でもね、それだけじゃ助けられなかったの。

だって、あの人が生きてたら、ずっと虐められちゃうもん。

だからね、……殺そうと思ったの」


男:「……っ」


少女:「夏休みが始まった頃だった。

あっちの池にね、落としたんだよ。

あの人酔っぱらってて、ちょっと二人で押しただけなのにすぐに落ちて」


男:「っ!!」


少女:「……ごめんなさい、ごめんね、あたし」


男:「お前、は……っ」


(咄嗟に少女の腕を掴む男)


少女:「離して……」


男:「なんで……、どうして変わってないんだ……?」


少女:「見ないで、あたしのこと見ないでよ」


男:「違う、そんなはずない。だって、あいつは煩いぐらいに明るくて、元気で、おれとは正反対の人間で」


少女:「あたしもう上手にうそつけないの」


男:「全部忘れて、暢気に生きてるはずで」


少女:「あたしを見ないで……っ!!!!」


男:「……っ!!」



少女M:「あの子は手を離すと、走って逃げていった。

蝉の声が煩い。

あの子が帰った駅で、あたしは一人蹲って耳を塞いだ。


ああ、思い出しちゃった。

あたしが忘れたかったこと。

ああ、知られちゃった。

あたしが隠したかったこと。


夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

電車など来るはずもない駅で


あたしは、どうして生まれたのか分からない蝉を見ていた」



=================



男:「……何を、見てるんだ?」


少女:「……っ」


男:「今日も蝉が煩いな。15年前と変わらず、煩いままだ。

……お前も、変わらないな」


少女:「……」


男:「……昨日、聞いたんだ。

15年前にあの池で女子中学生が死んだって」


少女:「……」


男:「……お前、死んだんだな」


少女:「……」


男:「なんか言えよ」


少女:「……ふふっ、」


男:「……」


少女:「あはははっ、そうなの! あたし、死んじゃったの。足をね、滑らせちゃって落ちちゃったんだよね! 馬鹿なあたしにぴったりな死に方でしょう?」


男:「……っ」


少女:「怖くないよね! あたしがお化けになっても。もっとはやく思い出して、君のこと驚かせたかったなあ! うらめしやーってやってさ」


男:「……もう、やめろよ」


少女:「君は大きくなったね! あたしの方が背が高かったのになあ。 あははっ、嫌だなあ、あたし変わってないから恥ずかしいよ」


男:「それも、ぜんぶ嘘なんだろ」


少女:「……っ」


男:「15年前、お前はずっと嘘を吐いてたわけだ」


少女:「……」


男:「どうしてそんな嘘を吐いた?」


少女:「……」


男:「なんで黙ってるんだよ……?」


少女:「……」


男:「おい、聞こえてんのか」


少女:「来ないで」


男:「……っ」


少女:「あたし、見られたくないの。

もうちゃんとできないから。

でも、似てるのなら、そこにいるよ」


男:「は……?」


少女:「君の足元にいるでしょう」


男:「足元……?」


少女:「上手に羽化できなかった蝉が」


男:「……っ」


少女:「君はかわいそうだって言ってた。

15年前も、今も、かわいそうだって言ってた」


男:「……」


少女:「……あたしね、その子と似てるの。

出来損ないで、どうしようもないところ」


男:「……」


少女:「だから、お母さんとお父さんに捨てられたんだ。

いつも言ってたもん。どうして、あんたみたいのを産んじゃったんだろうって。

だからね、あたし、良い子でいようって決めたの。

嘘でもいいから、いつも笑っていて、明るくて、優しい子でいたかったの。

……上手にできてたでしょう?」


男:「……」


少女:「こんなのを押し付けられたおばあちゃんたちがかわいそうだった。

こんなのと一緒に勉強しなきゃいけなかった学校の人たちがかわいそうだった。

こんなのに、助けたいと思われちゃった君がかわいそうだった」


男:「そう思うならなんで付きまとってきたんだよ……?」


少女:「かわいそうだったから」


男:「……」


少女:「かわいそうな子は助けてあげないといけないでしょう?」


男:「お前が良い子でいるためにか?」


少女:「……」


男:「お前がそうありたいがために、おれに人殺しまでさせたのか?」


少女:「……あたし馬鹿だから、上手なやり方が分からなくて。

それで、君のおじさんを殺したらいいんだって思っちゃったの」


男:「……」


少女:「うんと暑い日だったよね。

ずっとここでおじさんが来るのを待ちながら、蝉の声に隠れるように小さな声で喋って……」


男:「……お前はずっと笑ってた」


少女:「……」


男:「ジジイを殺そうって言ったときも、ジジイが来るのを待っている間も、お前はずっと楽しそうだった。

かくれんぼみたいで楽しいねって。

あのジジイを池に落としたときも、あのジジイが沈んだ時もずっと笑ってた。

おれはただただ震えることしかできなかったのに。

……あの時、お前は何を考えてたんだ?」


少女:「……分からない」


男:「……」


少女:「分からないや。あたし、何を考えてたんだろうね」


男:「……」


少女:「怖くて苦しくて……、でも笑ってたね。なんでだろ……。

そっか、そうだった。その時は笑えてたんだよね。

でも……、あたし笑えなくなっちゃった」


男:「……」


少女:「見られちゃってたんだ。同じ教室の子に。

おじさんを殺した日にね、あたしが山の中に入っていくの」


男:「は……?」


少女:「あたしだけね、見られてて」


男:「でも、それだけで」


少女:「そんなのあの人たちには関係ないよ」


男:「……」


少女:「夏休みが終わる頃……、ちょうど今ぐらいにね、急にあたしが殺したんじゃないかってひそひそ言われるようになったの。

やっぱり外から来た人間だから駄目なんだとか、孤児(みなしご)だから元々おかしい子だったとか、たくさん言われた。

みんなあたしを見ると逃げて、それでね、一人でいるあたしを見て笑うの。

だから、あたしも笑ってた。いつも明るくて、笑っている子でいたかったから。

分かってるよ。

あたしが殺したって本当に思ってたわけじゃないことも。

ただ、面白がってただけってことも。

……でもね、笑えなくなっちゃったの。

あたしが殺したのも、あたしがおかしな子なのも本当のことだから。

ああ、もう全部バレちゃったんだって。

そう思ったらね、あたし、うそつくの下手になっちゃった。

……出来損ないで、どうしようもない子なの隠せなくなっちゃった」


男:「……」


少女:「隠せなくなっちゃったから、あたしずっとここにいたの。

誰にもおかしなあたしを見せたくなくて。

誰にも見つからないように、ここでずっと蝉の声を聞いてたの。

そうしたらね、ここでかわいそうな蝉を見つけたんだ。

地面に落ちて、翅もぐちゃぐちゃで、藻掻くことしか出来ない惨めな子を見てたの。

どうして生まれたのか分からない蝉をずっと見て、こう思ったの。

……殺してあげた方がこの子は楽になれるんじゃないかって」


男:「……っ」


少女:「だから、あたし殺したの。

15年前、あの池の中に落として殺したんだ。

出来損ないの蝉も、出来損ないでどうしようもなくて、嘘も下手になっちゃったかわいそうなあたしのことも」


男:「……ふっ、ふふっ」


少女:「……」


男:「ふふっ、あははっ、あははははははは……っ!!」


少女:「……」


男:「お前、本当に嘘つきだな」


少女:「……っ」


男:「ジジイを殺せば幸せになれるってのも、30になったらここで会おうってのも、ぜんぶ嘘だったもんな」


少女:「……ごめんね」


男:「……ふざけんなよ」


少女:「……」


男:「ふざけんなよ……っ!!」


少女:「……」


男:「どうしてお前だけ死んでんだよ!!

お前だけ逃げて、お前が、お前が殺そうって言ったからこんなことになったのに、なんで死んでんだよ!!」


少女:「……」


男:「お前が言ったんだろ……!! お前が30になったらまたここで会おうって……、勝手にそう言って……っ!!」


少女:「……」


男:「おれがどんだけ苦しかったか分かるか……? 引き取られた先でもおれは碌な目に遭わなかった! 邪魔だと、はやくいなくなれって思われてる中で、未だにあのジジイを殺した日を夢に見るんだ。

そのたびに、おれは人を殺したんだって思わされる。死んでもいい人間だったはずなのに、おれはずっと自分が犯した罪に苦しめられ続けた……!!!!

あの時、お前の口車に乗せられて、殺すんじゃなかったって何度も後悔して、何度も何度も死のうと思った……。

でも……、おれは死ななかった。

おれはお前のことをずっと恨んで生きてきた……。

だから……、だからここでお前に会うことがあれば、おれは……っ!!」


少女:「ごめんなさい……」


男:「……っ」


少女:「……本当にごめんなさい」


男:「……なんで死んでんだよ」


少女:「……」


男:「なんで、お前まで……」


少女:「……」


男:「……」


少女:「……あたし、うそばかり言ってたけど、助けたかったのは本当だったんだよ」


男:「……」


少女:「最初は、良い子でいるために助けないとって思った。

でもね、でも……、君と一緒にいるうちにね、あたし楽になれるような気がしたの。

あたしも君もかわいそうで、同じなら寂しくないかもしれないって」


男:「……おれは全然楽じゃなかった」


少女:「あたしも、楽になんてなれなかった」


男:「……」


少女:「でも、あたし、いつもより寂しくなかったよ」


男:「……っ」


少女:「ここでよくお喋りしたよね。夏だと蝉の声が大きくて、いつもより少し頑張って話してたんだよ」


男:「……」


少女:「でも、喋ってるのあたしだけで、君はずっと話を聞いてて」


男:「……っ」


少女:「君は楽しくなかったかもしれないけど、あたしの話、聞いてくれて嬉しかったよ」


男:「やめろよ……」


少女:「あたしが家からスイカ持ってきて食べたこともあったね」


男:「もうやめてくれよ……っ」


少女:「一緒にここで宿題したこともあったよね。あたし、馬鹿だったから一緒にやってくれて嬉しかった」


男:「……っ」


少女:「君が一緒にいてくれて嬉しかったの。

だから、君がかわいそうなのが嫌になっちゃった。

あたしと同じでかわいそうだから、一緒にいたかったのにね」


男:「どうして……」


少女:「だって、あたし、君に幸せになってほしかったの」


男:「……」


少女:「ああ……、そっか。

あたし、良い子でいるためとかじゃなくて、君のことをただ助けたかったんだ。

良い子は人殺しなんてしちゃだめだもんね」


男:「……」


少女:「また一人になっても良いから、苦しいところから逃げてほしかった。

だから、人を殺すのも怖くなかったの。

だから、ずっと笑えてたの。

……よかった。思い出せて。

怖くて、苦しいだけじゃなかったんだ、あたし」


男:「……」


少女:「今もね、願ってるよ。君が幸せでありますようにって」


男:「叶うわけないだろ、そんなの……」


少女:「……叶うよ、きっと」


男:「うそつけ」


少女:「……」


男:「……この蝉は、お前に似てるんだろう?」


少女:「……うん」


男:「だったら、おれにも似てるんだろうな」


少女:「……」


男:「死んだら楽になったか?」


少女:「……」


男:「死んだら寂しくなくなったか?」


少女:「……」


男:「おれが死んだら、寂しくなくなるのか?」


少女:「……あたしは、もう寂しくないよ」


男:「お前は嘘が下手だな」


少女:「……っ」


男:「……ああ、蜩(ひぐらし)が鳴いてるなあ」


少女:「……」


男:「夏も、終わりか」



少女M:「そう言ったあの子は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。


夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰も来ない駅で


あの子は、あたしたちに似てる蝉をくしゃりと潰した」




〈終〉