1
少女M:「夏の夕暮れ。
蝉の声が降り注ぐ山の中。
誰もいない寂しい駅で、
あたしは、蝉を見ていた」
===============
(しゃがんで地面を見ている少女に、後ろから声をかける男)
男:「なにを見てるんだい?」
少女:「……っ」
男:「ああ、待った。悪いけど、こっちを見ないでくれ」
少女:「え……」
男:「それは……、羽化に失敗した蝉かい」
少女:「……」
男:「かわいそうになあ。
ずっと土の中にいて、やっと羽化できると思ったのにこんなことになって」
少女:「……」
男:「君はこんなとこで、ずっと蝉を見ていたの?」
少女:「……はい」
男:「一人で?」
少女:「一人で」
男:「面白い?」
少女:「面白くはないです。でも……」
男:「でも?」
少女:「……見ていたくて。なんだか、この子は」
男:「……」
少女:「この子は……」
男:「……」
少女:「……」
男:「……もういいよ、振り返って」
(恐る恐る振り返る少女)
少女:「あ……」
男:「ごめんね、怖かったろ」
少女:「……」
男:「見たところで怖いか。碌に顔も見えないんじゃ」
少女:「あ、いえ……」
男:「顔を見られたくなくてね。
帽子だけじゃ心許なかったが、いやあ、不精で伸ばしっぱなしの髪がこんなところで役に立つとは。
まあ、君のこともよく見えないんだけどさ」
少女:「……」
男:「怪しいもんじゃないよ」
少女:「そんな……、ごめんなさい、あたし」
男:「謝らなくていい。こっちこそ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ」
少女:「いえ……」
男:「そんなことより、子供一人でこんなところに来たら危ないだろ。
君、地元の子?」
少女:「は、はい」
男:「じゃあ、麓の村の子かな」
少女:「そうです。だから大丈夫ですよ。あたし、ちゃんと帰れますから」
男:「だとしても、こんな夕方に山の中は危ないよ。もう少しはやく帰りな」
少女:「おじさんは……?」
男:「おじさん? あははっ、そうか。初めて言われたけど、君ぐらいの子からすれば当たり前か」
少女:「あ、ごめんなさい……っ」
男:「いいや、ぜんぜん。
……そうだよな。そんだけ経ったんだよな」
少女:「……」
男:「おれは大丈夫だよ」
少女:「そう、ですか」
男:「この駅にはよく来るの?」
少女:「はい。この辺りでよく遊んでるから」
男:「そっか。じゃあ、余計なことを言ったね」
少女:「あ、あの」
男:「ん?」
少女:「おじ……、お兄さんは何を」
男:「おじさんでいいよ。むしろ、その方が良い」
少女:「え?」
男:「なんか気に入ったんだ。そう呼ばれると、思ったよりも長く生きたんだなって思えるから」
少女:「……」
男:「それで、なんだったっけ?」
少女:「……おじさんはどうしてここに?」
男:「気になる?」
少女:「この辺り、あまり人が来ないから少しびっくりしちゃって」
男:「ここに来たのは……、どうしてだろうね。
おれは……、そうだなあ。なにをしに来たんだっけな……」
少女:「……」
男:「……内緒」
少女:「内緒?」
男:「あははっ、さっきから怪しいことしか言えないな。ごめんね」
少女:「……」
男:「……大した理由じゃないんだよ、本当に。
簡単に言えば、帰ってきたんだ」
少女:「え?」
男:「おれも元々はあの村に住んでたからね。もう15年も前の話だけど」
少女:「そうなんですか?」
男:「だから、顔を見られたくないんだ。
もう随分と昔の話なんだけど、なんか気まずくてね」
少女:「おじさんのこと、あたし知りませんよ」
男:「そりゃそうだ。
でも、もしかしたら君が、こんな人がいたって話すかもしれないだろ」
少女:「そんなこと……」
男:「君、友人はいる?」
少女:「え?」
男:「仲のいい子は?」
少女:「……いますよ、たくさん」
男:「たくさんか。
じゃあ、なおのこと言えないなあ」
少女:「……」
男:「今は夏休みか」
少女:「はい」
男:「いいね。友達と遊びに行ったり、毎日楽しいだろう」
少女:「……楽しいですよ」
男:「嘘が下手な子だね」
少女:「……」
男:「それが本当なら、こんなところに一人でなんていないよ」
少女:「……」
男:「ははっ、それは決めつけがすぎるか」
少女:「……」
男:「それにしても、あんだけ暑かったのに、夕方になると過ごしやすいなあ。この辺りは」
少女:「……」
男:「……」
少女:「……あたし、」
男:「ん?」
少女:「あたし、うそつくの得意なんですよ」
男:「……」
少女:「ほかに得意なことなんてないのに、うそつくのは上手なんです。
……でも、今は上手にできないみたい」
男:「……もう夏も終わりだからね。夏負けかな」
少女:「……そうかもしれません」
男:「あと、相手が悪かったのかもな。
おれはね、嘘を見抜くのが得意なんだ。
歳を重ねるごとに、人の言っていることが嘘か本当か分かるようになった。
おれがそういう生き方をしてきたからだろうけど」
少女:「じゃあ、おじさんの勝ちですね」
男:「あははっ、そうだね。
でも……、君もそういう人間になるんじゃないかな」
少女:「どうしてですか?」
男:「何となく。おれと似てるような気がするから。
っと、さすがにこれは、若い女の子を相手に失礼すぎるか。
ごめん、きっとおれの思い過ごしだ」
少女:「……」
男:「さてと、おれはもう行くよ」
少女:「え?」
男:「君も気をつけてね」
少女:「あ、あの」
男:「ん、どうかした?」
少女:「大丈夫ですか?」
男:「大丈夫かって、帰れるかってこと?」
少女:「はい」
男:「平気だよ。じゃあね」
(駅から遠ざかっていく男)
女M:「おじさんはそう言って電車を待たずに帰っていった。
一人残された駅で、あたしは蝉を見る。
夏の夕暮れ。
蝉の声が降り注ぐ山の中。
誰もいない寂しい駅で、電車を待ちながら
あたしは、地べたに落ちた蝉を見ていた」
=================