少女M:「夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰もいない寂しい駅で、

あたしは、蝉を見ていた」




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(しゃがんで地面を見ている少女に、後ろから声をかける男)


男:「なにを見てるんだい?」


少女:「……っ」


男:「ああ、待った。悪いけど、こっちを見ないでくれ」


少女:「え……」


男:「それは……、羽化に失敗した蝉かい」


少女:「……」


男:「かわいそうになあ。

ずっと土の中にいて、やっと羽化できると思ったのにこんなことになって」


少女:「……」


男:「君はこんなとこで、ずっと蝉を見ていたの?」


少女:「……はい」


男:「一人で?」


少女:「一人で」


男:「面白い?」


少女:「面白くはないです。でも……」


男:「でも?」


少女:「……見ていたくて。なんだか、この子は」


男:「……」


少女:「この子は……」


男:「……」


少女:「……」


男:「……もういいよ、振り返って」


(恐る恐る振り返る少女)


少女:「あ……」


男:「ごめんね、怖かったろ」


少女:「……」


男:「見たところで怖いか。碌に顔も見えないんじゃ」


少女:「あ、いえ……」


男:「顔を見られたくなくてね。

帽子だけじゃ心許なかったが、いやあ、不精で伸ばしっぱなしの髪がこんなところで役に立つとは。

まあ、君のこともよく見えないんだけどさ」


少女:「……」


男:「怪しいもんじゃないよ」


少女:「そんな……、ごめんなさい、あたし」


男:「謝らなくていい。こっちこそ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ」


少女:「いえ……」


男:「そんなことより、子供一人でこんなところに来たら危ないだろ。

君、地元の子?」


少女:「は、はい」


男:「じゃあ、麓の村の子かな」


少女:「そうです。だから大丈夫ですよ。あたし、ちゃんと帰れますから」


男:「だとしても、こんな夕方に山の中は危ないよ。もう少しはやく帰りな」


少女:「おじさんは……?」


男:「おじさん? あははっ、そうか。初めて言われたけど、君ぐらいの子からすれば当たり前か」


少女:「あ、ごめんなさい……っ」


男:「いいや、ぜんぜん。

……そうだよな。そんだけ経ったんだよな」


少女:「……」


男:「おれは大丈夫だよ」


少女:「そう、ですか」


男:「この駅にはよく来るの?」


少女:「はい。この辺りでよく遊んでるから」


男:「そっか。じゃあ、余計なことを言ったね」


少女:「あ、あの」


男:「ん?」


少女:「おじ……、お兄さんは何を」


男:「おじさんでいいよ。むしろ、その方が良い」


少女:「え?」


男:「なんか気に入ったんだ。そう呼ばれると、思ったよりも長く生きたんだなって思えるから」


少女:「……」


男:「それで、なんだったっけ?」


少女:「……おじさんはどうしてここに?」


男:「気になる?」


少女:「この辺り、あまり人が来ないから少しびっくりしちゃって」


男:「ここに来たのは……、どうしてだろうね。

おれは……、そうだなあ。なにをしに来たんだっけな……」


少女:「……」


男:「……内緒」


少女:「内緒?」


男:「あははっ、さっきから怪しいことしか言えないな。ごめんね」


少女:「……」


男:「……大した理由じゃないんだよ、本当に。

簡単に言えば、帰ってきたんだ」


少女:「え?」


男:「おれも元々はあの村に住んでたからね。もう15年も前の話だけど」


少女:「そうなんですか?」


男:「だから、顔を見られたくないんだ。

もう随分と昔の話なんだけど、なんか気まずくてね」


少女:「おじさんのこと、あたし知りませんよ」


男:「そりゃそうだ。

でも、もしかしたら君が、こんな人がいたって話すかもしれないだろ」


少女:「そんなこと……」


男:「君、友人はいる?」


少女:「え?」


男:「仲のいい子は?」


少女:「……いますよ、たくさん」


男:「たくさんか。

じゃあ、なおのこと言えないなあ」


少女:「……」


男:「今は夏休みか」


少女:「はい」


男:「いいね。友達と遊びに行ったり、毎日楽しいだろう」


少女:「……楽しいですよ」


男:「嘘が下手な子だね」


少女:「……」


男:「それが本当なら、こんなところに一人でなんていないよ」


少女:「……」


男:「ははっ、それは決めつけがすぎるか」


少女:「……」


男:「それにしても、あんだけ暑かったのに、夕方になると過ごしやすいなあ。この辺りは」


少女:「……」


男:「……」


少女:「……あたし、」


男:「ん?」


少女:「あたし、うそつくの得意なんですよ」


男:「……」


少女:「ほかに得意なことなんてないのに、うそつくのは上手なんです。

……でも、今は上手にできないみたい」


男:「……もう夏も終わりだからね。夏負けかな」


少女:「……そうかもしれません」


男:「あと、相手が悪かったのかもな。

おれはね、嘘を見抜くのが得意なんだ。

歳を重ねるごとに、人の言っていることが嘘か本当か分かるようになった。

おれがそういう生き方をしてきたからだろうけど」


少女:「じゃあ、おじさんの勝ちですね」


男:「あははっ、そうだね。

でも……、君もそういう人間になるんじゃないかな」


少女:「どうしてですか?」


男:「何となく。おれと似てるような気がするから。

っと、さすがにこれは、若い女の子を相手に失礼すぎるか。

ごめん、きっとおれの思い過ごしだ」


少女:「……」


男:「さてと、おれはもう行くよ」


少女:「え?」


男:「君も気をつけてね」


少女:「あ、あの」


男:「ん、どうかした?」


少女:「大丈夫ですか?」


男:「大丈夫かって、帰れるかってこと?」


少女:「はい」


男:「平気だよ。じゃあね」


(駅から遠ざかっていく男)



女M:「おじさんはそう言って電車を待たずに帰っていった。

一人残された駅で、あたしは蝉を見る。


夏の夕暮れ。

蝉の声が降り注ぐ山の中。

誰もいない寂しい駅で、電車を待ちながら


あたしは、地べたに落ちた蝉を見ていた」




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