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男:「……何を、見てるんだ?」
少女:「……っ」
男:「今日も蝉が煩いな。15年前と変わらず、煩いままだ。
……お前も、変わらないな」
少女:「……」
男:「……昨日、聞いたんだ。
15年前にあの池で女子中学生が死んだって」
少女:「……」
男:「……お前、死んだんだな」
少女:「……」
男:「なんか言えよ」
少女:「……ふふっ、」
男:「……」
少女:「あはははっ、そうなの! あたし、死んじゃったの。足をね、滑らせちゃって落ちちゃったんだよね! 馬鹿なあたしにぴったりな死に方でしょう?」
男:「……っ」
少女:「怖くないよね! あたしがお化けになっても。もっとはやく思い出して、君のこと驚かせたかったなあ! うらめしやーってやってさ」
男:「……もう、やめろよ」
少女:「君は大きくなったね! あたしの方が背が高かったのになあ。 あははっ、嫌だなあ、あたし変わってないから恥ずかしいよ」
男:「それも、ぜんぶ嘘なんだろ」
少女:「……っ」
男:「15年前、お前はずっと嘘を吐いてたわけだ」
少女:「……」
男:「どうしてそんな嘘を吐いた?」
少女:「……」
男:「なんで黙ってるんだよ……?」
少女:「……」
男:「おい、聞こえてんのか」
少女:「来ないで」
男:「……っ」
少女:「あたし、見られたくないの。
もうちゃんとできないから。
でも、似てるのなら、そこにいるよ」
男:「は……?」
少女:「君の足元にいるでしょう」
男:「足元……?」
少女:「上手に羽化できなかった蝉が」
男:「……っ」
少女:「君はかわいそうだって言ってた。
15年前も、今も、かわいそうだって言ってた」
男:「……」
少女:「……あたしね、その子と似てるの。
出来損ないで、どうしようもないところ」
男:「……」
少女:「だから、お母さんとお父さんに捨てられたんだ。
いつも言ってたもん。どうして、あんたみたいのを産んじゃったんだろうって。
だからね、あたし、良い子でいようって決めたの。
嘘でもいいから、いつも笑っていて、明るくて、優しい子でいたかったの。
……上手にできてたでしょう?」
男:「……」
少女:「こんなのを押し付けられたおばあちゃんたちがかわいそうだった。
こんなのと一緒に勉強しなきゃいけなかった学校の人たちがかわいそうだった。
こんなのに、助けたいと思われちゃった君がかわいそうだった」
男:「そう思うならなんで付きまとってきたんだよ……?」
少女:「かわいそうだったから」
男:「……」
少女:「かわいそうな子は助けてあげないといけないでしょう?」
男:「お前が良い子でいるためにか?」
少女:「……」
男:「お前がそうありたいがために、おれに人殺しまでさせたのか?」
少女:「……あたし馬鹿だから、上手なやり方が分からなくて。
それで、君のおじさんを殺したらいいんだって思っちゃったの」
男:「……」
少女:「うんと暑い日だったよね。
ずっとここでおじさんが来るのを待ちながら、蝉の声に隠れるように小さな声で喋って……」
男:「……お前はずっと笑ってた」
少女:「……」
男:「ジジイを殺そうって言ったときも、ジジイが来るのを待っている間も、お前はずっと楽しそうだった。
かくれんぼみたいで楽しいねって。
あのジジイを池に落としたときも、あのジジイが沈んだ時もずっと笑ってた。
おれはただただ震えることしかできなかったのに。
……あの時、お前は何を考えてたんだ?」
少女:「……分からない」
男:「……」
少女:「分からないや。あたし、何を考えてたんだろうね」
男:「……」
少女:「怖くて苦しくて……、でも笑ってたね。なんでだろ……。
そっか、そうだった。その時は笑えてたんだよね。
でも……、あたし笑えなくなっちゃった」
男:「……」
少女:「見られちゃってたんだ。同じ教室の子に。
おじさんを殺した日にね、あたしが山の中に入っていくの」
男:「は……?」
少女:「あたしだけね、見られてて」
男:「でも、それだけで」
少女:「そんなのあの人たちには関係ないよ」
男:「……」
少女:「夏休みが終わる頃……、ちょうど今ぐらいにね、急にあたしが殺したんじゃないかってひそひそ言われるようになったの。
やっぱり外から来た人間だから駄目なんだとか、孤児(みなしご)だから元々おかしい子だったとか、たくさん言われた。
みんなあたしを見ると逃げて、それでね、一人でいるあたしを見て笑うの。
だから、あたしも笑ってた。いつも明るくて、笑っている子でいたかったから。
分かってるよ。
あたしが殺したって本当に思ってたわけじゃないことも。
ただ、面白がってただけってことも。
……でもね、笑えなくなっちゃったの。
あたしが殺したのも、あたしがおかしな子なのも本当のことだから。
ああ、もう全部バレちゃったんだって。
そう思ったらね、あたし、うそつくの下手になっちゃった。
……出来損ないで、どうしようもない子なの隠せなくなっちゃった」
男:「……」
少女:「隠せなくなっちゃったから、あたしずっとここにいたの。
誰にもおかしなあたしを見せたくなくて。
誰にも見つからないように、ここでずっと蝉の声を聞いてたの。
そうしたらね、ここでかわいそうな蝉を見つけたんだ。
地面に落ちて、翅もぐちゃぐちゃで、藻掻くことしか出来ない惨めな子を見てたの。
どうして生まれたのか分からない蝉をずっと見て、こう思ったの。
……殺してあげた方がこの子は楽になれるんじゃないかって」
男:「……っ」
少女:「だから、あたし殺したの。
15年前、あの池の中に落として殺したんだ。
出来損ないの蝉も、出来損ないでどうしようもなくて、嘘も下手になっちゃったかわいそうなあたしのことも」
男:「……ふっ、ふふっ」
少女:「……」
男:「ふふっ、あははっ、あははははははは……っ!!」
少女:「……」
男:「お前、本当に嘘つきだな」
少女:「……っ」
男:「ジジイを殺せば幸せになれるってのも、30になったらここで会おうってのも、ぜんぶ嘘だったもんな」
少女:「……ごめんね」
男:「……ふざけんなよ」
少女:「……」
男:「ふざけんなよ……っ!!」
少女:「……」
男:「どうしてお前だけ死んでんだよ!!
お前だけ逃げて、お前が、お前が殺そうって言ったからこんなことになったのに、なんで死んでんだよ!!」
少女:「……」
男:「お前が言ったんだろ……!! お前が30になったらまたここで会おうって……、勝手にそう言って……っ!!」
少女:「……」
男:「おれがどんだけ苦しかったか分かるか……? 引き取られた先でもおれは碌な目に遭わなかった! 邪魔だと、はやくいなくなれって思われてる中で、未だにあのジジイを殺した日を夢に見るんだ。
そのたびに、おれは人を殺したんだって思わされる。死んでもいい人間だったはずなのに、おれはずっと自分が犯した罪に苦しめられ続けた……!!!!
あの時、お前の口車に乗せられて、殺すんじゃなかったって何度も後悔して、何度も何度も死のうと思った……。
でも……、おれは死ななかった。
おれはお前のことをずっと恨んで生きてきた……。
だから……、だからここでお前に会うことがあれば、おれは……っ!!」
少女:「ごめんなさい……」
男:「……っ」
少女:「……本当にごめんなさい」
男:「……なんで死んでんだよ」
少女:「……」
男:「なんで、お前まで……」
少女:「……」
男:「……」
少女:「……あたし、うそばかり言ってたけど、助けたかったのは本当だったんだよ」
男:「……」
少女:「最初は、良い子でいるために助けないとって思った。
でもね、でも……、君と一緒にいるうちにね、あたし楽になれるような気がしたの。
あたしも君もかわいそうで、同じなら寂しくないかもしれないって」
男:「……おれは全然楽じゃなかった」
少女:「あたしも、楽になんてなれなかった」
男:「……」
少女:「でも、あたし、いつもより寂しくなかったよ」
男:「……っ」
少女:「ここでよくお喋りしたよね。夏だと蝉の声が大きくて、いつもより少し頑張って話してたんだよ」
男:「……」
少女:「でも、喋ってるのあたしだけで、君はずっと話を聞いてて」
男:「……っ」
少女:「君は楽しくなかったかもしれないけど、あたしの話、聞いてくれて嬉しかったよ」
男:「やめろよ……」
少女:「あたしが家からスイカ持ってきて食べたこともあったね」
男:「もうやめてくれよ……っ」
少女:「一緒にここで宿題したこともあったよね。あたし、馬鹿だったから一緒にやってくれて嬉しかった」
男:「……っ」
少女:「君が一緒にいてくれて嬉しかったの。
だから、君がかわいそうなのが嫌になっちゃった。
あたしと同じでかわいそうだから、一緒にいたかったのにね」
男:「どうして……」
少女:「だって、あたし、君に幸せになってほしかったの」
男:「……」
少女:「ああ……、そっか。
あたし、良い子でいるためとかじゃなくて、君のことをただ助けたかったんだ。
良い子は人殺しなんてしちゃだめだもんね」
男:「……」
少女:「また一人になっても良いから、苦しいところから逃げてほしかった。
だから、人を殺すのも怖くなかったの。
だから、ずっと笑えてたの。
……よかった。思い出せて。
怖くて、苦しいだけじゃなかったんだ、あたし」
男:「……」
少女:「今もね、願ってるよ。君が幸せでありますようにって」
男:「叶うわけないだろ、そんなの……」
少女:「……叶うよ、きっと」
男:「うそつけ」
少女:「……」
男:「……この蝉は、お前に似てるんだろう?」
少女:「……うん」
男:「だったら、おれにも似てるんだろうな」
少女:「……」
男:「死んだら楽になったか?」
少女:「……」
男:「死んだら寂しくなくなったか?」
少女:「……」
男:「おれが死んだら、寂しくなくなるのか?」
少女:「……あたしは、もう寂しくないよ」
男:「お前は嘘が下手だな」
少女:「……っ」
男:「……ああ、蜩(ひぐらし)が鳴いてるなあ」
少女:「……」
男:「夏も、終わりか」
少女M:「そう言ったあの子は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
夏の夕暮れ。
蝉の声が降り注ぐ山の中。
誰も来ない駅で
あの子は、あたしたちに似てる蝉をくしゃりと潰した」
〈終〉